第87話

会場開始時間になってすぐ、僕達はチケットに記載されている大ホールの座席へと向かった。


 たまたまだったのか、それとも上代さんが意識して用意したものなのかは分からなかったが、指定ナンバーが振られてあった僕達の座席はステージからちょうど十列目の真ん中に位置していて、とても見やすい場所だった。


 ここなら近すぎず遠すぎずで、上代さんの勇姿を見守る事ができそうだと思いながら座席に座る。左からおじさん、井上君、瀬尾さん、そして僕の順だった。


 ステージの天井からは『第14回フィーリングシンガーオーディションEブロック大会』と分厚いブロック文字で書かれた看板が提げられているし、後方では生演奏用なのかオーケストラ並みの様々な楽器が所狭しと鎮座している。それらの前には一本の立派なマイクスタンドが用意されていて、運営側の人間と思しきパンツスーツ姿の女性が何度もテストを繰り返していた。


「……本当に、ここで上代が歌うんだな……」


 会場の入り口前で充満していたピリピリ感は、僕達がこの大ホールに入った途端、一気にその質が変わった。うまく言えはしないが、ひと言で表す事を求められれば、こう表現するしかない。さっきの上位互換だと。


 それは井上君も分かるのか、座席に腰を下ろした途端、入り口前での余裕ぶりはなくなってしまったようだ。ぶるぶるっと全身を細かく震わし、先の言葉を言いながら強張った表情でステージの上を凝視していた。


「何か俺、決勝レースのスタート位置に立ってるのと同じ気分になってるかも。半端ねえよ」

「そうだろ?」


 井上君の言葉を聞いて、おじさんがこっちに顔を向けながら言った。


「でもな、サナの奴は小せえ頃から何度もこういう場に立ってきたんだ。確かにブランクはできちまったけど、あの頃の気持ちを思い出せれば、こんな大会余裕で優勝できるってもんだ」


 全国各地で行われている今回のオーディションは、全部でGブロック……つまり七つの予選があり、そこで優勝した七人の代表者のみが決勝大会に駒を進める事ができるという。老若男女問わず門戸を開いているそうだが、その分、審査は相当厳しくなるようであり、僕達の座席より何列か前にある審査員席では、もうすでに厳しい顔つきをした五人の審査員が今か今かとオーディションの開始を待っていた。


「……え~、大変お待たせ致しました。まもなく、『第14回フィーリングシンガーオーディションEブロック大会』を開始致します。チケットをお持ちのお客様は、座席の方までお急ぎ下さい」


 テストを終えたらしいパンツスーツ姿の女性が、数多くある座席をぐるりと一望するように視線を巡らせながらマイクに言葉を乗せる。その際、キイィィン……と独特の金切り音が会場中に響き渡り、おじさんがちょっとしかめ面をしてみせた。


「何だぁ、やっすい機材使いやがって。俺の店のマイクの方がよっぽど高性能だし、あれじゃサナの美声がうまく響かねえだろ」


 審査に影響ないといいが……とぶつぶつ文句を言うおじさん。そんな彼に、僕も瀬尾さんも井上君も思わずくすっと笑ってしまった。

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