第81話

「ちょっ……」


 何するんだと言いかけた文句が、僕の喉の奥へと引っ込んだ。


 床から上代さんへと視線を戻そうとした僕の視界に、彼女が机の上に置いた物が飛び込んでくる。二枚のチケットだった。


「え……」


 訳が分からないまま、とりあえずチケットに書かれている公演名を読もうと机に向かって顔を近付ける僕。瀬尾さんも井上君もそんな僕につられて視線を向けてきたが、僕達が確認をし終えるよりもずっと早く、上代さんが口早に言った。


「今度、それに出場する事にしたから。泉坂、あんた見に来なさいよ」

「……は?」


 文句は消えてなくなっていたが、その代わりに何ともマヌケで短い音が僕の口から今度こそ飛び出る。それと同時に、チケットに書かれていた公演名もはっきり読めた。『第14回フィーリングシンガーオーディションEブロック大会応援チケット』とある。日付は、二週間後の日曜日だった。


「これって……」

「前々から、ワークショップの先生から出てみないかって何度も言われてたのよ。まあ、その度に断ってたんだけど……気が変わって、出る事にした」


 ばつが悪そうに、僕の机から……いや、その上にあるチケットからぷいっと目を逸らす上代さん。逆に瀬尾さんと井上君は、そのチケットに目が釘付けになっていた。


「それは分かったとして……、どうして僕が?」


 素直に疑問だった。あのカラオケ屋のおじさんとか、グループの女子達にこのチケットを渡すならまだ話は分かる。なのに、何で僕なんだ?


 分かりやすく首を傾げてやっていると、察しが悪いと捉えられてしまったのか、上代さんが少しだけ声を荒げた。


「……人の夢は、応援するものなんでしょ!? 瀬尾の現実的じゃない夢は応援できて、私の事はできないって訳!? あんたもあんな事言ったんだから、責任取りなさいよね!?」


 そう言うと、上代さんは瀬尾さんの方を振り返って、ちょっと悔しそうににらむ。それに瀬尾さんがぴくっと怯んだ隙に、上代さんはその横を擦り抜けて自分の席へと戻ってしまった。


「えっ⁉ ちょっとサナ、どうしたの?」

「何かあったんなら話してよ~」


 グループの女子達がわざとらしく心配そうな声を出しながら、上代さんの周りに集まりだす。だが、僕がそっちを気にするよりも早く、瀬尾さんは机の上のチケットをぱっと手に取り、真剣な表情で見つめた。


「……そうだよね。キヨ君に教えてもらった事を実践したからには、私にだって責任あるよね」

「せ、瀬尾さん?」

「キヨ君。上代さんの晴れ舞台、絶対見に行かなきゃダメだよ!」


 ふんっと強い鼻息を出しながらそんな事を言ってくる瀬尾さん。おい、勝手に決めるな。僕は了承なんかしていない。そもそも、今のは一昨日の事を上代さんがもう一回謝って、それを僕が「もういいよ」って返して終わりになる流れだったはずだろ。どうして、こんな事になるんだ!?


「なあ、泉坂」


 心の中でめいっぱい困惑している僕に、井上君が瀬尾さんの持つチケットを覗き込みながら、


「このチケット、一枚につき二人まで入場できるみたいだぜ? て、事は……一人分余っちまうなぁ。どうしよっか?」


 なんて事を言っていたが、その顔はニヤニヤと笑っている。ああ、これは最後の一人は決まったも同然だなと、僕は頭を抱えたくなった。

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