第78話
翌日も普段通りの時間に目を覚ました僕は、制服に着替えて部屋から出る。そのままキッチンまで行くと、母さんも普段通りに僕の弁当作りで忙しくしているところだった。
「あ、もう調子はいいの?」
そう尋ねながら、完成した弁当箱の蓋を閉じる母さん。僕は周囲に父さんの姿がない事を確認してから「うん」と頷いた。
「一日寝てたら、もうすっかり。ごめん、余計な心配かけて」
「そんな事ないわよ。
自分の失言に気が付いて、母さんは急いでその口を両手で押さえる。すぐ目の前で言われたのだから当然僕の耳にもしっかり届いていたのだけど、僕はあえて聞こえていないふりをした。
「ん? 何か言った、母さん?」
母さんの脇を擦り抜け、冷蔵庫の中に入っていた麦茶の容器を取り出しながら、何事もなかったかのようにすっとぼけるというマヌケぶりを披露してみせる僕。どうかこんな僕の茶番に乗っかってくれと祈る数秒間が、何て長い事か……。
僕の稚拙な思いが通じたのかどうかは分からない。でも、僕なんかよりもずっとつらい思いをしてきた母さんだ。大人らしい、うまい立ち回り方をよく知っていた。
「……ううん、何でもない。ただの独り言よ」
「そっか」
苦笑いを浮かべる母さんに、僕は肩越しに振り返って下手くそな笑みを返す。そうして二人そろって、頭の中に浮かびそうになった存在を打ち消すんだ。もう何度目になるかも分からなくなった、あの日のフラッシュバックをできるだけ少なく済ませる為に――。
学校に着き、まっすぐ教室の中へと入る。たった一日休んでいた程度では、クラスの誰も特に僕を心配していたという事もなく、全くもって普段通りだ。風邪が移るからと言って僕の見舞いを止めた木場先生に至っては、そんな事を言った記憶はございませんとばかりに、ホームルームが始まって僕と一瞬視線が合っても特に動揺するなんて事もなかった。
このまま、また普段通りの日々が始まる。そう思っていたのだが、ホームルームが終わった直後、僕の予想を簡単に翻す三人が近付いてきた。まずは一人目。言わずもがなだが、瀬尾さんだ。
「キヨ君、おはよう! 元気になってよかったね!」
瀬尾さんも瀬尾さんで、昨日の僕とのやり取りをすっかり忘れてしまったかのように、はしゃいだ声色でそう話しかけてきた。「うん……」と返す僕の目は、もう条件反射みたいに彼女のスカートにくっついているしっぽを見つめる。真っ白で、マリモのようなふわふわの球体がそこにあった。
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