第61話

「せ、瀬尾っ……」


 さっきの今で気まずいんだろう。上代さんは瀬尾さんの顔が見れないようで、ぱっとそっぽを向く。しかしそのせいで、瀬尾さんの視界の真ん中には上代さんの赤くなった右頬が収まってしまった。


「上代さん、大丈夫!?」


 つい数時間前に自分がビンタされたっていうのに、今はその相手の心配をするんだ。ここは「お父さんに怒られたんだ、ざまあみろ」ってバカにしたって、そのくらいならバチは当たらないだろうに……。


「瀬尾さんらしいな……」

「ん? 何か言ったか?」


 今度こそ誰に聞かせるでもない、独り言だった。さっきよりも小さく言ったつもりだったし、案の定、すぐ近くにいた井上君の耳にも届いていない。でも僕は、どうしてここで「瀬尾さんらしい」と言ってしまったのか自分でもよく分からなかった。瀬尾さんとの思い出なんて、本当に覚えていないのに……。


「上代さん、保健室行こう? 今なら遠藤先生いるから……」


 保健室に連れていこうとしたのか、瀬尾さんの手がそっと上代さんへと向けられる。それに上代さんがひゅっと息を飲むのと、彼女の脇からさっきの男の人がぬっとその体を割り込ませてきたのはほとんど同時だった。


「……失礼。もしかして、あなたが瀬尾さんですか?」


 とてもハスキーで、渋い声。僕はこれによく似たものを、昨日確かに聞いた。


「初めまして。私は、この上代サナの父親です。連絡を聞いてきましたが、うちのバカ娘があなたにとんでもない粗相をしでかしたと……申し訳ない」


 そう言うと、上代さんの父親はとても礼儀正しく頭を下げてきた……が、僕は即座にこの人に対する印象を最悪だと決定づけた。


 ……うまく言えないけど、よく似ているんだ。この人と、僕の父さんが。質こそ違うかもしれないけど、何となく分かる。この人も、僕が嫌悪すべき人種だと。


 瀬尾さんも、そんな僕と似たような思いを抱いたのか、上代さんの父親の言葉にきゅうっと眉間にシワを寄せる。上代さんの父親はそんな瀬尾さんの様子に気付きもしないで、頭を上げた途端にペラペラと続きを話した。


「後日、改めてお宅にお詫びに窺いたいと思います。よろしければ、都合のいい日時と住所、後はご両親の連絡先をお教えいただけますか? 嫁入り前の女の子の顔にひどい事をしたのですから、当然治療費のお支払いも」

「……いえ、大丈夫です」


 上代さんの父親の言葉をしっかりと遮った後、瀬尾さんはキッと鋭い目を向けた。少し離れていても、瀬尾さんがちょっと怒っているという事など手に取るように分かった。

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