第60話

「待ち受けまでしっぽかよ。本当に好きなんだな……」


 思わずぽつりとそう言ってしまった。独り言のつもりだったし、返事を期待していた訳じゃなかったけど、瀬尾さんには耳聡く聞こえていたようで、ぐるんと勢いを付けて僕の方に顔を向けてきた。


「うん、とっても大事だよ。私の夢だもん」

「……」

「いつか絶対叶えるから、その時はキヨ君に見届けてほしいな」

「どんな無茶ぶりだよ……」


 本当にマイペースな子だなと、僕は肩をすくめる。そんな瀬尾さんと僕を見て、井上君がぷぷっと小さく吹き出すように笑った。


「いいな、お前達のそういうの。何か幼なじみって感じがして、見てるこっちが癒されそうだ」

「……あいにく、僕は」


 瀬尾さんとの思い出なんてほとんど覚えていない、そう言おうとした時だった。ふいに、そこかしこに広がっていた昼休みの賑わいというものががらりと変わったのは。


 皆の楽しそうな戯れの声が、一瞬にして戸惑いに満ちたものへと変わる。そして、それと同時に数多の怪訝そうな視線が僕達に向かって注がれているような気がしてならなかった。


 僕は、それが何故なのかすぐに分かった。僕達三人の方に向かって、つかつかと二対の乱暴な足音が近付いてきたからだ。一人は上代さんだった。そして、もう一人は……。


「待ちなさい、サナ! 相手の子はどこにいるんだ!?」

「知らないわよ、そんなの! いいからついてこないで、一人で帰るから!」


 上代さんのすぐ後ろを追いかけるようにしてついてきていたのは、高そうなスーツに身を包んだ四十代後半くらいの男の人だった。その男の人を見た途端、井上君の「げっ、ヤバ……!」と小さく呟く声がした。


「あれ、上代の親父さんだ」

「えっ……」

「さっき、教室に来たんだけど……ヤバかったよ。上代を見た瞬間、皆の目の前でいきなりビンタしたからな。しかも手加減なしの、かなりきつい奴だった」


 井上君の言葉を聞いた後で、こっちにやってくる上代さんを改めて見てみれば……確かに彼の言う通り、上代さんの右頬はさっきまでの瀬尾さんと同じように真っ赤になっている。しかも冷やしてすらいないようで、瀬尾さんよりも腫れているように見えた。


 男の人が上代さんの父親であるという事。そして、その上代さんがぶたれたという事実に我慢ができなくなったんだろう。彼女が僕達に気付くよりもずっと前に、そっちの方へと飛び出していったのは……まあ言うまでもない事だが、瀬尾さんだった。


「……上代さん!!」


 上代さんのすぐ目の前まで駆け寄り、周囲のざわつきよりもずっと大きな声で名前を呼ぶ瀬尾さん。まさかこんな所で瀬尾さんと鉢合わせるなんて思ってもいなかったんだろう。上代さんはぎょっと大きく両目を見開き、大股で廊下を進んでいたその両足をぴたりと止めた。

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