第54話
もしもそれだけだったら、いや、ここで瀬尾さんが我こそがと立候補していたら、ここから先の展開は決してなかったはずだ。これ以上のどよめきもなかっただろうし、きっと僕も瀬尾さんも井上君も……そして彼女も何一つ変わらなかったと思う。
でも、瀬尾さんはその事を分かっていたかのように、こう言ってのけた。
「うちのクラスのソロパートは、上代さんがいいと思います!」
「……はぁ⁉」
瀬尾さんの言葉に真っ先に反応したのは、当然の事だが上代さんだった。
朝、校門で彼女のグループの女子が言っていた通り、上代さんは音楽の授業の時はより一層かったるそうに過ごしている。新谷先生がどんなに熱を入れて音楽の歴史を説いていても、ぼうっとした表情を乗せる顔に頬杖をついているか、スマホをいじっているかだ。合唱やアルトリコーダーの演奏の時に至ってはただ列に立っているだけで、歌っているふりと奏でているふりをしているだけだ。
いや、転校してきたばかりだから、そんな上代さんの振る舞いを知らないのは当然の事だろう。それは分かる。でも、だからといって、その提案はあまりにも無知が過ぎるというより無謀だ。ほら、見ろ。上代さんもグループの女子達も、瀬尾さんを信じられないものを見るかのような目で見てるじゃないか。
「先生、上代さんでお願いできませんか?」
そんな視線をものともせず、瀬尾さんは右手を挙げたままでそう言う。さっき僕が言ったのをとりあえず気に留めているらしく、彼女のスカートのしっぽはその腰の下敷きになる事なく、ちょこんと椅子の背もたれの間から抜け出るように収まっていた。
「ちょっ……瀬尾! 勝手な事ばかり言わないでくんないかな!?」
自分の意志や主張を無視された挙げ句、そんな些末な事など関係ないとばかりにあれこれと決められてしまう。そこに違和感を覚え、反発するのは人間として当たり前の権利だ。僕は「あんな出来事」があった時に嫌というほど分かったし、今、この瞬間もそれだけは骨身に染み付いているつもりだ。
だからこそ、ここで嫌だと声をあげながら椅子から立ち上がった上代さんの気持ちはよく分かる。今の彼女の姿は、「あの日」の僕と母さんにこれ以上ないほどよく似ていた。
「私、ソロなんて絶対やりたくないんだけど!?」
「どうして? 上代さん……」
「……今朝の仕返しのつもりなら、あんたって超絶タチが悪いよ?」
不思議そうな顔をする瀬尾さんから守るように、上代さんに続いてグループの女子達も次々と立ち上がった。
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