第44話
結局、近所にあるコンビニでカツ丼とジュースを買った後、そのまままっすぐ家へと向かった。
さぞ昔のように、母さんの怒号が聞こえてくるものだと思っていた。でも、玄関の前に立ってもそんな様子がないどころか、まるで誰もいないみたいにしんと静まり返っていて……。
いや、中の電気は点いている。少なくとも、どっちかはいるんだ。どうか母さんでありますようにと思いながら玄関の鍵を開けた僕だったが、そんな僕を出迎えたのはよりにもよって父さんだった。
「お帰り」
遅くなると言ってあったのに、まだ八時にもならないうちに帰ってきた僕に安心したのか、それとも自分の期待に応えてくれたのかと思い込んだのか、父さんがほっとした息をつく。でも僕は、そんな父さんを気にかけるよりも、土間に並んでいる靴をにらみつける事に忙しかった。
そこにあったのは、母さんの靴じゃなかった。それどころか見当たりさえしない。その代わりとでも言わんばかりに、僕の物よりも何センチも小さい運動靴がちょこんと居座っていた。
「……母さんは?」
運動靴をにらみ続けながら僕が尋ねると、父さんは今度はうっと息を詰まらせ、その後でひどく言いにくそうな小さい声で答えた。
「実家に泊まるそうだ。とても今日はいられないと言って……」
「当たり前だろ。こんな卑怯な手を使うだなんて思いもしなかったよ」
僕は、母さんからのLINEをチェックしなかった事をとても後悔した。今頃どうしているだろう。おばあちゃんに愚痴でも聞いてもらっているのか、それとも一人布団の中で悔し泣きをしているのか……。
僕の言葉がさらなるダメージになったのか、父さんはびくっと一度全身を揺らす。そして、まるで自分に言い聞かせるかのように「もう、これしか思いつかなかった」と言い出した。
「たまたま外出許可が出たから連れてきたんだ。実際会えば、母さんを説得できると思って」
「逆効果に決まってるだろ。昔、似たような事をして母さんに殴られたのをもう忘れた?」
「忘れっこないし、今日も殴られたよ」
そう答える父さんの右頬は、確かに赤くなっていた。よかったじゃないか、おばあちゃんの時みたいに鍬を振り回されるよりは百億倍マシなんだから。
「……で、今はどうしてるの?」
「父さんの部屋で寝かせてる。母さんの勢いにびっくりしたみたいだし、何度も謝らせてしまったから疲れたんだろう」
「ますます逆効果だったね。明日の朝になったらタクシーで帰しなよ」
本当は今すぐ家から出て行ってほしいところだけど、疲れて寝ているところを叩き起こしてまで追い出してしまえるほど、僕も鬼じゃない。そもそも今夜は朝まで自室で立てこもりコースのつもりだったんだから、それまでに出て行ってくれればいいだけの話だ。
できるだけ運動靴から離れた所でスニーカーを脱ぎ、そのまま父さんの横を擦り抜けて階段を昇ろうとした僕だったが、そんな僕の背中に向かって「清人、待ってくれ」とすがるような声が追いかけてきた。
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