第35話

そこでふうっとひと息ついていると、「泉坂」と僕を呼ぶ声とつかつかと近付いてくる足音が聞こえてきた。反射的に振り返ってみれば、やっぱりそこには井上君がいて、いつも以上に明るい満面の笑みを浮かべていた。


「今日はありがとうな」


 嬉しそうにそう言ってくる井上君だったが、その傍らにいなくてはならない存在が見当たらない。ついさっきまで一緒にロングホームルームを受けていたはずなのにと思いながら、僕はあたりをきょろきょろと見渡すも、やっぱり教室のどこにもいなかった。


 本日の主役がいなければ、せっかく嘘を誠にしようとした僕の精いっぱいの努力がムダになるじゃないか。どこに行ったんだろう? そんな事を考えていたら、それを見て取ったのか井上君が「瀬尾さんなら……」と今度はちょっと言いにくそうに切り出した。


「木場先生が連れてった。たぶん、生徒指導室だと思う」

 

 井上君の言葉に、僕は「ああ……」と納得した。


 今日も瀬尾さんは、例のしっぽをスカートに着けて登校してきた。チリンチリンと鳴る鈴に、するりと下に伸びていくフォルムのしっぽに、瀬尾さんは時折……いや、それはもう何度も何度も目を向けてはうっとりとした表情にため息まで乗せていた。


 昨日は転校初日という事で大目に見てくれていたんだろうが、さすがにあれだけ言われていたにもかかわらず、昨日宣言していた通りの事をやってしまえばそうなるのも頷ける。三時間目の体育が終わった休み時間の際、女子達が話しているのが聞こえてきたのだが、瀬尾さんは本当に新品のジャージにもしっぽを付けてきていたらしい。女子の体育を担当している仁科にしな先生はヒステリックなところがあるって聞いた事があるから、相当な修羅場になったかもしれない。


 今だってそうだ。生徒指導室に連れていかれるくらいなんだから、木場先生の中ではかなり問題と捉えられたに違いない。もしかしたら、あのしっぽ取り上げられてしまうんじゃ……。


「よくできていたのに……」


 神経も繋がってないし骨だってないんだから、本物のようにリアルな動きを見せる訳じゃないアクセサリーのしっぽだ。でも、それを取り上げられてしまうんじゃないかと思ったら、何故かそんな言葉がぽつりと出てしまっていた。


 幸いにも井上君の耳には届いていなかったらしく、「ん? 何か言ったか?」と聞かれたが、僕は何でもないという意思を乗せて首を横に振る。それと同時に教室の引き戸が開かれる音が聞こえてきて、そこから瀬尾さんがけろりとした顔を覗かせてきた。

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