第31話
「悪いけど、他を当たってくれないかな?」
別に僕じゃなくったっていいだろう。今はいい返事をもらえていないかもしれないけど、人気者の井上君が誘うんだから、そのうち誰かしらが「うん、いいよ」と言うに決まってる。そして、僕の知らないところで瀬尾さんがクラスに馴染めばそれでいい。「いつの日かかわいいしっぽをゲットする事です!」なんて世迷い言はきれいさっぱり忘れられて、それからあのしっぽも付けてこなくなれば……。
僕がそう思った時だった。
「……あ、キヨ君も部活に行くの? もしかして井上君と同じ陸上部?」
次に井上君が何か言う前に、言葉を挟んできたのは瀬尾さんだった。井上君より二つ右隣の空いている席をもらった瀬尾さんは、僕達二人が話している様子が視界に入ったのか、パタパタと足音を立てながらこっちに近付いてくる。結局、瀬尾さんは今日一日、スカートのしっぽを付けたままだった。
チリンチリンと涼しげに鳴る鈴の音と一緒にやってくる瀬尾さんのその言葉に、僕は小首を傾げる。何で僕が陸上部に入ってるだなんて、そんな断定的な事を言うんだろうと……。
「いや、入ってないよ」
僕は即座にそれを否定した。
「僕は帰宅部なんだ」
「え? 何で?」
今度は、瀬尾さんがこてんと小首を傾げる。
「井上君と一緒に走ってないの?」
「ちょっ……それって、井上君に失礼過ぎるよ」
「何で?」
「何でって……瀬尾さんは知らないだろうけど、井上君はすごいんだよ? 全国レベルの選手なんだから」
僕は、昨日の体力測定テストの五十メートル走を思い出す。根本先生がスタートのホイッスルを鳴らした途端、僕の事なんか一気に置いてけぼりにしてぐんぐん遠くなっていった井上君の背中は、とても自信に満ち溢れているものだった。
間違いなく今年の陸上大会は、井上君の独壇場となるだろう。大学だってきっとスポーツ推薦なんかで陸上が強い所に入るだろうし、数年後にはオリンピックの中継にその活躍する姿が映るかもしれない。
そんな未来を簡単に想像できる井上君と、学年の平均タイムを下回るような僕なんかを同列にしないでほしい。井上君だって、さすがにいい迷惑だろう。
だが、僕のそんな気持ちなんか読み取るどころか、まるで知る由もない瀬尾さんはさらにとんでもない事を言い出した。
「……だから、何? キヨ君だって速かった」
「は?」
「キヨ君、クラスの中で一番速かった。自分の夢を叶えるんだって、いつもいっぱい走ってたじゃない。今は走ってないの?」
心底不思議そうに尋ねてくる瀬尾さんに、僕は自分の頬がどんどん熱くなっていくのを感じてたまらなかった。
瀬尾さんの言っているクラスっていうのは、十中八九、保育園の時の事だろう。確かにあの頃の僕は何も知らなかったから、自分の夢はいつか必ず叶うと信じて、無邪気にあちこち走り回っていた。そのせいでずいぶん鍛えられたから、クラスの中で一番速かったという彼女の言葉もたぶん嘘じゃない。
でも、今は違う。違うんだよ、瀬尾さん。僕はあの頃と本当に何も変わっていない瀬尾さんに、少し苛立ちを覚えた。
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