第29話

遠足があった事自体は覚えている。動物園に行くなどの大きなイベントでない限りは、大抵いつも保育園からほど近い小さな公園だった。大した遊具もなかったし、何なら寂れた感じすらあったが、保育園の教室や庭とは違う場所で遊べるという特別感みたいなものを味わえるのが心底楽しくて、ずっと走り回っていたっけ。


 でも、やっぱり瀬尾さんと仲良く話をしていたような記憶は出てこない。たぶんすぐ近く……きっと僕の隣にはいたんだろうけど、あのしっぽの絵の記憶があまりにも強烈すぎるせいだろう。それ以外、全く出てこなかった。


 片手で気軽に食べられるからというせいもあるだろう。瀬尾さんはあっという間に焼きそばパンを食べ切り、ストローの刺さったイチゴオレをおいしそうに飲んでいた。ひどく甘ったるそうに見えるから、僕はまだ一度も買った事がないけれど。


 ちょんとマヨネーズが乗っているブロッコリーを食べる。この独特の歯ごたえが結構好きで文字通り噛み締めていれば、瀬尾さんが包みの開いたメロンパンを持ったまま、じいっとこっちを見ている事に気付いた。それに何となく気まずいものを感じてしまい、僕はブロッコリーを飲み込んでから「何?」と声を出した。


「そんなに見られてると、食べにくいんだけど」

「ごめん。でもキヨ君、やっぱりおいしそうに食べるなあって思って」


 その言い回しから、また昔の何かしらを思い出してるんだろうなって分かったけど、あいにくこっちにはその記憶がないから共感する事などできない。むしろ、何とも言えない居心地の悪さを感じてしまい、きっとそのせいだろう。僕は瀬尾さんからふいっと顔を背けると、こんな事を言ってしまっていた。


「そんな事言われても困るよ、こっちは覚えてないんだし」

「え……」

「さっき相田君達にも言ったけど、瀬尾さんの事は顔を見ても名前を聞いてもすぐには思い出せなかった。変な呼び方するから、やっと思い出せたって感じだったし」

「キヨ君?」

「その呼び方も、やめてほしい。僕も瀬尾さんも、もう小さな子供じゃないんだし」


 そう言ってやると、僕はもう瀬尾さんに見向きもしないで弁当箱の残りをぱくぱくと食べだした。


 すぐ隣で瀬尾さんがメロンパンをゆっくりと頬張る気配がする。でも、ついさっきまで満足げなものだったそれが、今はまるで正反対な雰囲気が漂っている。気のせいだと思いたくて、僕は弁当を無心に食べ続けた。


 あとひと口、最後の楽しみにと残しておいたもう一つの玉子焼きに箸を伸ばした時だった。


「じゃあ私の事、もう昔みたいに呼んでくれないんだ……」


 とても小さく、そして寂しそうな瀬尾さんの声が耳元に届いたが僕はそれに答える事なく、最後の玉子焼きを口に入れた。やっぱり甘い味がしたし、あの頃の瀬尾さんを何て呼んでいたのかなんて思い出せなかった。

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