第28話

当然の事だったけど、中庭も昼食や雑談を楽しむ生徒達で溢れ返っていて、教室以上にわいわいと賑わっていた。


 いつも教室で弁当を食べていた僕にとって、その何倍もの騒がしさを持つ中庭は未知の領域に等しい感覚があった。廊下を歩く際、その窓越しに見ていた景色の一部でしかなかったから、わざわざ立ち入ろうと思った事すらなかった。


 瀬尾さんだって今日転校してきたばかりなんだから、ここに足を踏み入れるのだって初めてのはずだ。それなのにまるですっかり慣れ親しんでるかのようにすたすたと歩を進ませ、かろうじて空いていた中庭の一角にあるベンチまで僕の手を引っ張っていく。教室からこの中庭に来るまで、彼女のスカートにくっついているしっぽの鈴はずっと鳴りっぱなしだった。


「キヨ君、ここにしよう」


 肩越しに振り返りながら、瀬尾さんがにこりと微笑む。もうどうでもよくなっていた僕は「うん」と短く答えて、彼女が手を離してくれるのを待った。


 ふんふんと楽しそうに鼻歌なんて歌いながら、瀬尾さんがそろりと僕の手を離す。そして、しっぽを体の下敷きにしないようにと、これもまた慣れた手つきでけさせてから先にベンチへと腰を下ろした。


「……お邪魔します」


 少し長めに作られている木製のベンチ。僕は瀬尾さんから一人分の間を空けるようにして、ゆっくりと腰を下ろす。そして再び弁当箱の蓋を開けてみれば、間髪入れずに瀬尾さんの口から「わあ……」と感嘆のため息が漏れだした。


「おいしそうな玉子焼きだね。おばさんが作ったの?」


 おばさん……つまり、母さんの事を言ってるんだろう。僕はまた「うん」と答えながら頷いた。


「その日によって味付けは違うけど」

「へえ。今日は何味なの?」

「たぶん、だし巻き」

「そっかぁ。おばさん、相変わらず料理上手なんだね」


 懐かしむようにそう言ってくる瀬尾さん。だが、僕の中で疑問が浮かんだ。


 僕の記憶の中では、瀬尾さんとの思い出はたった一つしかない。それ以外に、彼女と話した覚えが全くないのだ。それなのに、どうして彼女はうんうんと満足げに頷きながら焼きそばパンの包みを開けてるんだろう。


「……僕の母さんと、話した事があるの?」


 僕がそう尋ねると、瀬尾さんは焼きそばパンをひと口かじった後で、首をゆるゆると横に振った。


「ちゃんとお話しした事はないかな」

「じゃあ、どうして」

「遠足の時に一度だけね、キヨ君のお弁当の中身を見た事があったんだ。ものすごくかわいいキャラ弁で、うらやましいなって思ったの。私もあんなの食べたいなあって」


 あははっと笑ってから、瀬尾さんはまた焼きそばパンをかじる。僕は腑に落ちないまま、ようやく玉子焼きを一個口の中に入れた。予想と違って、今日は甘い味付けだった。

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