第26話

……いや、決して全部が嘘じゃない。ほんのちょっとだけだ。最初に瀬尾さんを見ても、あのしっぽを生やした自画像を描いた初恋の女の子だったんだとすぐには思い出せなかったのは事実で、「知らないのと同じ」と言った事だけが嘘だ。


 瀬尾さんが僕のすぐ目の前で笑って、僕をキヨ君と呼ぶまで、本当に顔も名前も思い出せなかった。なのにあの時、まるで難解なジグソーパズルを一瞬で完成させたかのように、カチカチカチと記憶のピースが当てはまってしまったんだ。間違いなく、瀬尾さんはあの女の子だと。


 そう考えると、ひどく懐かしい気分になった。そして、中身はあの頃と全く変わらずにそのまま見た目だけ大きくなってしまった瀬尾さんに対して、何とも不思議な思いを馳せてしまった。


 保育園の頃の自分の夢って、普通なら黒歴史になるはずだろう? たかだか数年しか生きていない、文字通りに世間知らずの小さな子供がおぼろげな記憶を頼りに、突拍子も現実味もない夢を自慢げに語るんだ。僕だって、できる事ならあの頃の自分の口を思いっきり強く塞いでやりたい。そして、今の僕という現実をはっきりと見せつけてやりたいくらいだ。


 それなのに瀬尾さんは、本当に何も変わっていない。しっぽが欲しいだなんて、どこの誰が聞いてもちゃんちゃらおかしくて笑ってしまうような非現実的な夢を、高校生になった今でも嬉々として語るなんて……。


 まっさらなくらい心が純粋なのか、それとも頭の中がどうしようもないお花畑なのか。今の僕には、そのどちらかなんて判別は付かない。ただ、確かなのは……。


「正直に言えって。あの子とお前、それなりに甘酸っぱい思い出とかあるんじゃねえの?」

「もしかして、大人になったら結婚しようねとかいう約束もしてたとか? あのしっぽが指輪の代わりだったりしてな?」


 ついに訳の分からない絡み方まで始めた二人に、心底嫌気が……いや、苛立ちが募った。


 いつまで人の食事を邪魔すれば気が済むんだとか、汚いから齧りかけの焼きそばパンをこっちに向けるなとか、唾は飛ぶし埃も立つから静かにしろとか、言ってやらなきゃならない事はたくさんあったと思う。でも、僕の口が選んだ言葉は、頭の中で浮かんでいたそのたくさんの中にあるものではなかった。


「……どんなものであれ、人が大切にしている夢をバカにするなよ。みっともない」


 これには、言ってしまった後でひどく驚いた。何でだ? こんな事、言うつもりじゃなかったのに。


 僕のその言葉はさほど大きく響いたはずじゃなかったのに、どうやらクラス全員の耳にしっかり届いてしまったらしい。皆が僕を見る視線の温度ががらりと変わった。上代さんに至っては、目を丸くして「え、マジで……?」なんて口の中で呟いているのが目の端に留まった。

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