第24話

「……キヨ君。やっぱりキヨ君だ!」


 最初は、彼女が何を言い出したのかさっぱり分からなかった。


 何だか嬉しそうな声色がするなあと思った次の瞬間には、パタパタとひどく軽い足取りの音が僕の席の方まで近寄ってきていた。だから、勇気がなくて机の上に落としていた視線をつい持ち上げてみれば、とても嬉しそうな瀬尾さんの満面の笑みが僕のすぐ目の前まで迫っていた。


 何の前触れもなければそんな事をされる覚えもなく、突然初めて会う人間のとびっきり明るい笑顔を目の前に突き付けられる。これで少しも驚かない人間がいるのなら、ぜひ見てみたい。少なくとも、僕は口から思わず「へぇっ?」と変な声を出してしまうほどには驚いた。


「な、何……?」

「何って、キヨ君だよね?」

「え?」

「だ・か・ら、泉坂清人君でしょ? 私、ちゃんと覚えてるよ?」


 僕の名前を一文字も間違う事なく言ってのけた瀬尾さんに、僕はひどく困惑した。


 何で今日生まれて初めて会って、今の今まで名前すら知らなかった転校生の女子が、僕の名前を知っているのだろう? 僕はこれまで特に何かしらの賞歴を残した事もなく、あくまで平々凡々で目立たない生き方をしてきた。誰かの記憶に残るほど、価値があるような人間ではないというのに……。


 でも、瀬尾さんはそんな僕の気持ちなど知らないから、さらに嬉しそうに肩を弾ませながら言葉を続ける。その度に、しっぽの鈴がチリンチリンと連動するように鳴り続けた。


「キヨ君、あの頃と何も変わらないね。私の夢を、笑わないでいてくれた」

「え……」

「キヨ君だけだよ。昔も今も、そうあってくれたのは。また会えるだなんて思っていなかったから、これはすごいサプライズだよ。本当に嬉しい」


 僕には全く訳の分からない事だが、自分の感情をよほど抑えられないのか、瀬尾さんは一人でぺらぺらとしゃべり倒す。僕はもちろんだが、他の皆も全くそんな彼女についていけず、そろってぽかんとしている。少しの間を置いて、ようやく口を開いてくれたのは木場先生だった。


「せ、瀬尾さん? その……泉坂君と知り合いなの?」


 ひどく僕の名前を呼びにくそうにしながら、木場先生がそう言う。僕の名前を呼んでくれたのは、実に何ヵ月ぶりですか木場先生?


 瀬尾さんは肩越しにそんな木場先生を振り返ると、「はい!」と元気いっぱいに答えた。


「私、保育園の頃はこの近くに住んでいたんです。キヨ君は、その頃から私の夢を応援してくれた大事な人です!」


 何のためらいも恥じらいもなく、きっぱりとそう言い切った瀬尾さんのその言葉に、僕は昨夜見つけた画用紙の中身を思い出す。黒くて長いしっぽを生やした、初恋の女の子の絵を――。


「嘘だろ……」


 気が付けば、僕の口はそんな言葉をぽつりと紡いでしまっていた。

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