第20話

僕にはそういう経験がないからはっきりした事は分からないけれど、少なくともその入ってきた転校生の足取りには緊張感というものが全く感じられなかった。


 それまで当たり前のようにいられた場所から、突然右も左も分からない場所に来て、初めて会うたくさんの人間の前にたった一人っきりで立たなきゃいけないっていうのに、まるで少しの不安も心配もいだいていませんと言わんばかりだ。そんなあまりにも堂々とした歩みっぷりに、僕もそうだったが、クラスの誰もが声を出すのも忘れてその女子の様を見守る。


 何だか教室の中がしんと静まり返ってしまったように感じた、その時だった。


 チリン……。


 ……ん、何だ? 今、どこかで小さな鈴の音が鳴ったような……。


 誰の声も聞こえない教室の中で、とても小さかったはずの鈴の音がやたらと響いたような気がした。それと同時に、何だか木場先生の目元もわずかにピクリと引きつったようにも見えて……。


 どうやら決して僕の空耳ではなかったようで、他にも何人かのクラスメイト達があたりを窺うようにきょろきょろと視線を動かしたりしている。その中で井上君が不思議そうに首を傾げているのが視界の端に映った。


 だが、僕や井上君達のそんな反応など気にならないかのように、再び黒板の上をチョークが文字を綴っていく音が聞こえてきた。その音に僕達が一斉に視線を黒板の方へと戻してみれば、教壇の横まで歩みを進めていた女子が自分でチョークを手に持ち、木場先生の『転校生』という文字の横に自分の名前を続けて書いているところだった。


 木場先生のものと違って少し丸みのある、実に女子らしいと言えるような柔らかな文字だ。最後のトメの部分までチョークを滑らせると、その女子はやっと僕達の方にしっかりと顔を向けて、にこりとした笑みを浮かべてきた。


瀬尾せおはるかといいます。今日からよろしくお願いします」


 ピアノみたいに澄んだソプラノの声だった。少し丸顔だが、うなじまでしかないショートヘアがよく似合っていた。目鼻立ちはしっかり整っていて、笑った口元からは小さい八重歯がちらりと覗いている。背はそんなに高くなさそうだが、真新しい学生鞄を持つ両手は白くてやたらと細く見えた。


 まあ、ひと言でいうのなら、かわいいに尽きるのだろう。男子達は歓喜のため息を、女子達「やばっ……」なんて言葉を次々と漏らしていく。その中でも上代さんは何故か机の中に入れておいたポーチから手のひらサイズの手鏡なんかを取り出して、しきりに自分の顔や髪形をチェックし始めたりしていた。

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