第12話

押し黙ってしまった上代さん達を見て、分かってくれたんだと解釈したんだろう。井上君はにこっと笑ってから、僕の机の上に無造作に置かれていた彼女達の荷物をその長い両腕でまとめながら言った。


「俺が運んでやるから、自分達の席で話の続きをしてくれよ。な?」

「うん……」


 上代さんが少し小さな声でそう返事をすると、さっきまで僕に噛み付いていた他の女子達もすっかり勢いをなくして、次々にこくりと頷く。それにほっとしたような息をついてから、井上君は彼女達の荷物をひょいっと全部持ち上げて、教壇に近い上代さんの席へと向かっていった。


 上代さん達がその後をついていく中、僕はそっと自分の席へと顔を向ける。分厚いファッション雑誌に押されていた僕の弁当箱は、まだギリギリ机の上に乗っていた。


 あと少し放っておかれてたら、確実に床へと落とされていたに違いない。そして僕は、せっかく母さんが朝早く起きて作ってくれたのに、中身がぐちゃぐちゃになってしまったその弁当をまずそうな顔をしながら食べ、一日の中で唯一ほっとできる時間を台無しにされるところだった。


 父さんのせいでさんざん傷付いた母さんの心を、これ以上煩わせたくない。だからほんの些細な事でも波風を立たせないよう、息子である僕は細心の注意を払わないといけないっていうのに、我が家の事情を何も知らないとはいえ、上代さん達の言動は迷惑そのものだ。


 だから、ここは一応お礼を言うべきなんだろう。このクラスにいる人間の事なんてこれっぽっちも興味がない僕ではあるけれど、礼節というものまで忘れた覚えはない。見た目は父親似だと親戚の人達からよく言われるが、さすがにそんなところまで似ていたくはない。まっぴらごめんだ。


 僕が弁当箱から顔を上げると、ちょうど上代さん達の荷物を運び終えた井上君がこっちに向かってくるところだった。上代さん達や他のクラスメイト達は、そんな井上君や突っ立ったままの僕をちらちらと見やって、様子を窺っている。何だか妙な空気が漂っていた。


 「ありがとう」、たった五文字だ。それだけ言ってしまえば、きっとこの空気は何もなかったかのように霧散する。さっさと言ってしまって、穏やかな時間を取り戻すんだ。そう思いながら、僕は口を開こうとした。すると。


「……泉坂、今度ゆっくり話そうな?」


 ……は?


 何を言うかと思えば、僕の目の前に立った井上君はちょっと困ったようにはにかみながら、ぽりぽりと指先で頬を掻いていた。そして僕が何か言葉を返す前に、早足で自分の席に戻っていってしまった。


 話すって、何を? 井上君と僕に、何か共通する話題とかあったか? 心底不思議に思ったし、つい目で追ってしまえば、案の定、井上君は待ち構えていた他の男子達にからかわれていた。


「おい、井上~! ああいうのはかわいい女の子に言うセリフだろ~?」

「相手、間違えてやるなよな~。それとも予行演習か?」

「そんな訳ないだろ、失礼だぞお前ら」


 それに対して、井上君はひどく真剣な声色で返していた。


「俺は純粋にクラスメイトとして、泉坂が心配なだけだ」


 きっと井上君は、底抜けにいい奴なんだろう。それは僕でもよく分かる。だが、何度でも言うが、僕はそのノリにはついていけない。当の本人である僕にも聞こえるくらい、そんな事を堂々と言ってのける彼の姿はあまりにもまぶしすぎる。


 僕みたいな輩に対する反応は、上代さんくらいがちょうどいいんだ。ほら、離れた席にいるっていうのに「……何よ、透明人間のくせに」なんて言ってくる彼女の声が、やたらとよく聞こえてきた。

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