第10話

退屈でつまらない午前の授業が終わって、やっと昼休みになった。昼食と雑談の時間が合わさるものだから、校舎全体が一日の中で一番騒がしくなる時間帯とも言えるが、僕はこの時間がわりと好きだった。


 その理由は、ひどく落ち着くからだ。このざわつきの中でも、僕の事を話しているような物好きな奴なんて一人もいないから。


 この時ばかりは井上君も周りにたくさん集まってくる友人達の相手に忙しくて、僕に構ってくる余裕なんてない。たまにちらちらとこっちに視線をよこしてくる時もあったが、僕が気にしなければそんなものはないも同然だ。


 うるさくないと言えば大嘘になるけど、意識しなければどうって事はない。煩わしさもほとんど感じない。耳に入れなければいいだけの話だし、むしろこのざわつきの中に僕という存在を埋もれさせてしまえばいい。そうするだけで、約五十分だけだが一日の中で最も安らげる時間を手に入れられる。


 だが、今日はそんないつもの時間とは違っていた。母さんが作ってくれた弁当箱を開く前に手を洗っておこうと、廊下の一角に設けられている手洗い場から戻ってきた時の事だった。


「……え~、それマジ?」

「どこ情報よ?」

「さっき、職員室でコバセンが言ってたの聞いちゃった。たぶん、来週くらいになるってさ。ちょっと楽しみじゃない?」


 コバセン……担任である木場こば先生の愛称だ。そう思いながら自分の席に目を向けてみれば、うちのクラスで一番騒がしい女子グループが僕の席を中心に集まっておしゃべりに夢中になっていた。


 まだ昼休みが始まって五分くらいしか経っていないのに、いつの間に昼食を食べ終わったんだろう。それとも、話題がすぐにダイエットに関する事に変わってしまったから、食べないつもりなんだろうか? どっちにしろ、僕の机の上に分厚いファッション雑誌やら十代向けのコスメ商品やらを置くのはやめてほしい。弁当に匂いが付いちゃうし、そもそも雑誌に押されて弁当箱が机から落ちそうじゃないか。


「それでさ、今日の放課後なんだけど、駅前の店に行かない? 新しいネイルが入ったらしいよ?」

「う~ん。私、今月はもう金欠でさぁ~」

「サナの好きそうなピンクラメでも?」

「え? マジ⁉ じゃあ、京都の舞台から飛び降りるつもりで買おうっかな!」

「……間違ってるよ。清水きよみずの舞台から飛び降りる、だろ」


 そんなつもりは全くなかった。それなのに、気が付けば僕はそのグループのすぐ側まで近寄っていて、きっぱりと彼女の間違いを指摘してしまっていた。


 現代文が担当である木場先生の授業は、ついさっきまで行われていた四時間目だった。今日の授業の範囲で使われていた例文の中にちゃんと入っていたのに、まともに聞いていなかったに違いない。おまけに自慢げに間違って使っていたものだから、無意識に気持ち悪く思ってしまったんだろう。こっちの事をさほど気にも留めない木場先生の事なんか、別に好きでも何でもないのに……。

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