第9話

僕はそんな井上君の隣に立たざるをえず、心の中でもう何度目になるのか分からなくなった深いため息をついた。


 出席番号順の関係で、僕と井上君は何かと一緒に組む機会がどうしても多い。日直でもそうだし、掃除当番だって同じ場所に振り分けられるし、少し前の校外学習だって同じ班になったばかりだ。


 井上君の事を慕っている皆からすれば、きっと「何てうらやましい奴」とか「名字が近いからって、いつも一緒に組むとかズルすぎる」とか思われているんだろう。言っておくけど、断れるものならこっちの方からきっぱりそうしたいくらいだ。


 だけどどういう訳か、井上君はその明るい性格からか嫌がる素振りを微塵も見せないどころか「一緒に頑張ろう」とか「いつも助けてくれてありがとうな」なんて言ってくるものだから、本当に困る。僕は、君と同じノリの人間だと思われるのがたまらなく苦痛なんだと、どうして分かってくれないんだろう。


 ほら、今だってまた僕の肩を掴んで、


「さっきも言ったけど、真剣勝負だからな?」


 本当に、どうしてそんな世迷い言が言えるんだよ君は? 君は県内トップクラスの陸上選手で、僕はただの……。


「……次! 泉坂に井上、スタート位置に着け!」


 ピピィッ! と根本先生のホイッスルが鳴り響き、僕が相田君や安西君と似たような反応をしている間に、陸上部の顧問でもある彼のそんな様にすっかり慣れっこになっているのか、井上君は足早にスタート位置へと向かっていく。僕も慌てて後を追った。


 スタート位置に立った井上君は、ふう~……と長い息を吐き出した後、ひどく強張った顔つきとなった。それはまるで全国大会の切符をかけた決勝戦に臨むかのような緊張感を纏っていて、何でたかがクラスの体力測定テストでそんな雰囲気を出すんだと不思議に思った。


「位置に着いて~、よう~い!」


 再びホイッスルを構えた根本先生のその言葉に、井上君が素早くクラウチングスタートの構えを取る。そして、それにつられてしまったのかどうかは分からないが、僕もとっさに彼と全く同じ構えを取っていた。


 その事にクラスの男子達がどよっとざわついたのと、根本先生がホイッスルを鳴らしたのはほとんど同じだった……。






 まあ、結果は予想通りだ。井上君は僕達のクラスどころか全学年で一番のタイムを叩き出し、根本先生から大げさなくらい称賛の言葉をかけられていた。そして僕はというとクラスの平均をやや下回るといった、どうって事のないタイムに終わった。


 一時間目終了のチャイムが鳴ると同時に、僕はさっさと更衣室へと向かう。そんな僕に井上君が何かしら話しかけようとしていたが、僕は気付かないふりをしてやり過ごした。


「おい、井上~。あんな奴相手に、ガチになりすぎだろ~」

「そうそう。さすがにあれじゃ引き立て役にもならないし、ちょっとかわいそうだったんじゃね?」


 そんな僕の背中の向こうで、誰かが井上君にそう話しかけているのが聞こえてきたが、それも無視してどんどん離れていく。だから僕の耳には、その次に井上君が言い放ったこの言葉が全く聞こえていなかった。


「……いいや、ガチじゃなきゃいけなかった。そうでなきゃ、たぶん俺は泉坂に負けてたよ」

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