第6話
「そういう事らしいわよ。あなたも期待するのは、もうやめたら?」
そう言いながら、母さんが完成した僕の弁当箱をキッチンのカウンターへと置く。ほんの何年か前まで、そこに置かれていた弁当箱は二つだったというのに。そう言えば、父さんの弁当箱はどこに行ったのだろう。最近見かけていない事に気付いた僕の耳に、父さんのまた悔しそうな声が聞こえてきた。
「ちゃんと話す。今度こそ、ちゃんと話すから……」
「いいえ、結構です。私もパートの時間があるから、出るなら早く出て行って下さい」
ぴしゃりとそう言い切って、母さんがキッチンから出て行く。もうとっくに分けられてしまった寝室にでも行って、これから身支度をするんだろう。僕はそんな母さんの背中に向かって「じゃあ、僕行ってくるから」とだけ言った。
そのまま、カウンターの上の弁当箱と食卓の足元に置いておいた学生鞄を持って玄関に向かおうとする僕を、父さんが追いかけてきた。
「清人」
また、僕の名前を呼ぶ。それだけで、父さんが「どうか助けてくれ。父さんと母さんの間に入って、橋渡しをしてくれないか」と言いたいのがすぐに分かったが、それを素直に引き受けてやれるような優しさは僕にはもう残っていなかった。ヒーローを目指していたあの頃だったら、きっと二つ返事でOKしただろうに。
「……だから、無理だって」
僕は父さんを振り返る事なく、玄関で淡々とスニーカーを履く。……だいぶ傷んできちゃってるな、そろそろ母さんに言って買い直してもらわないと。
すっかり靴底も擦り減り、表面も靴紐もくたびれてしまっているスニーカーをじっと見つめる僕。背中越しに、父さんの長く吐き出された息の音が聞こえた。
「どうしてもか……?」
「うん、どうしても」
僕はそっけなく言ってやる。だって、そうだろ?
あの日も父さんは、同じようにすがってきた母さんにそう言ってたじゃないか。それを見ていた僕が、どれだけ絶望したと思う? どれだけ強く正しい正義の味方のヒーローがやってきて、父さんの心の中に巣くっていた悪者をやっつけてほしいと心の中で願っていたか分かるか?
リビングの中の点けっぱなしだったテレビは、さっきとはもうすっかり内容が変わってしまっていて、今度はタイムマシンについての話題になっている。途切れ途切れにしか聞こえないが、もう決してSFの中だけの絵空事ではない現実可能な乗り物になりつつあると、どこぞの偉い大学教授らしいおじさんの興奮しきった声が本当に耳障りだった。
「それじゃあ」
もう何も言わなくなった父さんを置き去りにして、僕は玄関を出る。そして、本当にタイムマシンが発明されるのだとしたら、僕は子供の頃の僕に会ってこう言ってやりたいと思った。「お前の夢なんか叶わないし、悪者が世界征服するよりももっと残酷な現実が待ち侘びているから覚悟しておけ」ってね。
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