第一章

第4話

日本人の平均寿命が、男女ともにまた延びたらしい。テレビの中でそう得意げに語っているドヤ顔のコメンテーターに向かって、僕は齧りかけのトーストを思いっ切り投げ付けてやりたくなった。


 いや、実際そんな食べ物を粗末にするような真似はしないのだが、あの有名な武将である織田信長ならどんな反応をするんだろうと、朝っぱらからバカな事を考えた。


 だって、五百年ほど前……いや、きっとそれよりももっと前から彼を含むたくさんの人々が「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」なんて唄いながら舞っていたんだ。この一節の通り、昔の人々は人間なんて五十年も生きていれば結構長生きした方だとそれなりに納得していただろうに、今の時代ではきっと残念に思われてしまう事なんだろう。それくらい、現代の人間はかなり欲深となってしまっている。


 人生百年時代だと、コメンテーターが聞き飽きたフレーズを口にした。今の世の中、それはもう当たり前の事になっているかもしれないが、僕にとってはひどく迷惑な話だ。百年も生きる? 何の為に? 冗談じゃない、心底やめてほしい。そんなの、まっぴらごめんだ。


 イライラしながら残りのトーストを勢いよく平らげ、程よく温まっているミルクでそれをのどの奥へと流し込む。そして、皿の上にまだ少し残っているドレッシングをかけすぎたサラダには目もくれないで、「ごちそうさま」と言おうとした時だった。


「……じゃあ、行ってくる」


 それまで、机を挟んだ僕の正面の席でひと言もしゃべらないで新聞を読みふけっていた父さんが唐突にぽつりとそう言った。それにつられて、ついそっちの方に目を向けてしまうと、せっかく母さんが作ってくれていた朝食にほとんど口を付けていず、さっきまでブラックコーヒーがなみなみと注がれていたマグカップだけが空っぽになっていた。


 また食べないのかよと言いたくなったが、それを言っていい権利を持つのは母さんだけだ。だが、その当の母さんはキッチンの中でこちらに背中を向けている。きっと僕の弁当の準備をしてくれているんだろうが、父さんの声は聞こえていたはずなのに、すぐには何も言おうとしなかった。


 そんな母さんに聞かせるかのように、父さんがわざとらしく乱暴に椅子から立ち上がって大きな音を立てる。すると母さんはぴくりと両肩を震わせたものの、その次に発した声はひどく冷静で落ち着きがあり、父さんの子供っぽい振る舞いなど全く意に介してないと言わんばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る