第3話

僕も彼女も人間である以上、それは蛇足としか呼べないだろう。先生も心の中では絶対にそう思ったはずだ。それでも子供を相手にするプロとして優しい顔と口調を崩す事なく、「これって、何のお仕事をしているの?」と問いかけていた。


 その途端、女の子は先生に向かってきょとんとした顔をしてみせた後で、僕よりもずっと上手に書けていた余白の文字を指差しながら「ここに書いてるよ、先生?」と言ってきた。


「私、大きくなったら、こんなかわいいしっぽが欲しいの!」


 それを聞いた先生は、たまらず絶句していた。子供相手のプロとはいえ、さすがにこれは想定外だったんだろう。うまい返事ができずに口元がわずかに引きつっていた。


 でも僕は、それを隣で聞いていて、彼女をとてもカッコいいと思った。


 きっと他の女の子達は「パパのお嫁さんになりたい」とか「お花屋さんになりたい」だとか、そんなありきたりな夢ばかり絵に描いているだろうに、その子ときたらまさか「しっぽが欲しい」だなんて……。ドキドキと胸が高鳴って仕方なかった。


 気が付けば僕は、彼女に「すごいね!」と絶賛の言葉を贈っていた。


「そんなの、他の誰も考えてないよ! すごい、ヒーローと同じくらいカッコいいよ!」

「え……」

「僕ね、大きくなったらヒーローになりたいんだ! だから、○○ちゃんの事、一生懸命応援する!」

「……ありがと、キヨくん」


 ここまではっきり覚えているのに、彼女の名前だけころっと忘れてしまってるなんて。でも、そう言った僕に向かって、女の子がとても嬉しそうな満面の笑みを浮かべてくれた事で、僕の胸の中のドキドキはさらに強くなった。


 今考えれば、たぶんこれが最初で最後の、彼女とのまともな会話だったんじゃないかと思う。だって、これ以外に彼女と話した記憶がない。このお絵かきの日から数日後には、あの女の子はもう保育園に来なくなってしまったから……。


 あの時のドキドキした気持ちは、もうそれっきりだ。他のどの女の子を見ても、時々話をしても、全く同じ気持ちになれない。彼女だけだった。声高らかに「しっぽが欲しい!」とありえない夢を語った彼女にだけだ。


 今頃、どこでどう過ごしているのだろうか。名前は全く覚えていないし、顔つきだってあの頃とはすっかり変わってしまってる事だろう。


 それでも、もし万が一にも会えたら、こう言ってやりたい。「あの日の僕も君も、本当に無垢で無邪気で、かわいげというものもあって、バカな子供だったよね」と……。

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