第112話

翌日の午後九時五十分。この日の出勤時間まであと十分というタイミングで、正臣は気分よく『ハッピーマート所橋一丁目店』の自動ドアを潜り抜けた。


 というのも、今日の昼間に新しく作ってもらった銀行の口座を確認してみたら、ここに勤めだしてから初めての給料が振り込まれていたのだ。総額にして十二万そこそこだし、相良組にいた時の稼ぎからすれば当時の百分の一程度にしかならないが、それでも堅気の世界で汗水垂らして稼いだ初めての給料である。何故かたくさんの札束を手にキャバクラやカジノに出向いた時よりも、はるかに多幸感を得る事ができた。


 確か今日の夕勤は天野ちゃんとお嬢だったはず。ここは年長の俺がぱあっと景気よく、二人に「お勤めご苦労様です」の缶チューハイでも奢ってやるか! と、意気揚々と店内に入ったのだが……(←雫ちゃんと翔太郎君は未成年です、酒類を与える事は立派な犯罪なのでやめましょう!)。


「……で~す~か~ら! ここの見通しが甘いって何度指導すれば分かっていただけるんですか⁉ 前回もそのまた前々回も、全く同じ事を注意しましたよね⁉ 忘れちゃいました⁉」


 客の一人もいない店内に入った正臣の耳に飛び込んできたのは、バックヤードから響き渡る聞き覚えのない中年男の大声。そして、同じく正臣の目に映ったのは、そんな中年男の大声に心底悔しそうに表情をゆがませてレジカウンターの中に立っている雫と翔太郎、そして私服姿の浩介だった。


「み、皆……? いったいどうしたんでぇ?」

「来てんだよ、クソ面倒くせえ奴が」


 正臣の問いに、浩介がチッと舌打ちをしてから、あごをしゃくるようにしてバックヤードを差す。それを合図にするかのように、雫と翔太郎が数歩分体を動かした。


「私、もう我慢できない! いったい何時間居座るつもりなのよ、あのSV……!」

「ぼ、僕も雫ちゃんと同じ気持ちだから、一緒に文句を言うよ!」

「い、いやいや……! 二人とも、ここはお待ちを!」


 近頃肝が据わってきた翔太郎はともかく、何やら修羅場と化していそうな雰囲気を醸し出しているバックヤードに大切な妹分を行かせる訳にはいかないと、正臣は全身で二人を止める。そして肩越しにバックヤードの扉を見ながら、さらに言葉を続けた。


「どうせ俺や新本のアニキはこれからお勤めなんですから、そうと分かればSVさんもイモ引いてくれるでしょう。ここは俺らにお任せを。ねえ、新本のアニキ」

「確かに。いつまでも準備できなくて遅刻扱いされるのもむかつくしな。二人はレジ点検と退勤準備してな」


 それじゃあ、と先陣切ってバックヤードに向かう浩介だったが、それをすいっと追い越して正臣が扉の前へと割って入る。そして、浩介が「おい、ちょっと」と言い切るよりずっと早く、正臣は「店長さん、本日もお疲れ様ですぅ‼」とドスの利いた声をあげながら扉を思い切り強く押し開けた。

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