第110話

『……あれ、お兄ちゃん来てたの? まあ、ちょうどいいや。これ、お兄ちゃん好きだったでしょ? よかったら持って帰ってよ。あ、言っとくけど、マサもだからね?』


 三十分後。最愛の妹にそう言われて渡されたタッパーの中には、優也の大好物のロールキャベツが何個か入っていた。最初の一個目はすぐ目の前で食べてみたが、作るのはこれで五回目だというのだから、そう考えればなかなか味も染みてて悪くないと思う。後は形が崩れないように細かく注意すれば、その辺の料理人も裸足で逃げ出すほどの絶品が出来上がるのではないかと、優也は兄バカ全開で考えながら相良組への帰路に着いていた。


「しかし、兄さんは災難だったな。子供の頃から大の野菜嫌いなのに、雫の為に涙目になってまで完食してたし……」


 やっぱり『千人殺しのマサ』と呼ばれて伝説になった男は、苦手なものにも立ち向かう様もかっこいいんだなと思いながら、優也は目の前に差し掛かった曲がり角を曲がろうとした……が、そこからやってくる人影に反射的に足が止まる。そして、それが見知った顔だと分かった途端、一瞬前まで兄妹分の事を思って緩んでいた頬が一気に険しく引き締まった。


「偶然、ではないですよね?」


 優也がそう話しかけると、同じように足を止めた目の前の人物は首を横に振りながら「いや、まさか」と答えた。


「本当に偶然ですよ。たまたま私用でこの辺に来てただけなんで」

「警察のくせに嘘が下手ですね」

「ええ。何せあんた達極道より、よっぽど正直者ぞろいなんで」


 嫌味のようにそう答えたのは、朝倉聡一郎だった。しかし、私用という割には鞄の類を一切持ち合わせていない。それを見て、優也はやはり嘘だと感じ取った。


「言ってくれるじゃないか」


 タッパーを抱える手に少し力をこめて、優也が言った。


相良組僕達も警察に負けず劣らず、正直者しかいないんですけどね」

「そうでしょうね。ただ、正直に対するベクトルが違いすぎて困る。そこが一番厄介なんです」

「だったらほっといてもらえないですかね? こっちもたくさんの構成員社員食わせてかなきゃいけないんで」

「逮捕状が出る前に、全員が裏家業から足を洗うなら考えますが?」

「……」

「もしくは、『千人殺しのマサ』の居場所を教えるなら……うおっ⁉」


 聡一郎は最後まで言う事ができなかった。彼のネクタイの端を優也が左手で捻り上げるように引っ張り込み、思い切り顔を近づけてきたからだ。


「……誰が教えるか」


 怒気を含んだ声で、優也が言った。


「兄さんにちょっかい出してみろ。相良組の全身全霊をかけて……あんたらを潰す!」

「ならば、こちらも警察の威信を賭けよう。『千人殺しのマサ』の逮捕が、お前達極道への大ダメージになると信じてな!」


 タッパーを右の脇に抱えたままで凄む優也を、ほんの少し高い目線から聡一郎がわずかも怯える事なくにらみ返していた。

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