第106話
数日後。この日の夜勤を終わらせてアパートに戻ってきた正臣は、自分の部屋のドアの前で佇んでいた男の姿を見てひどく驚いた。まだ午前六時を少し過ぎたくらいで、朝日も昇り切っていなかったのだから。
「優也……? お前、こんな時間に何やってんだよ」
「おはよう、兄さん」
正臣から声をかけられた優也は、苦笑いを浮かべながら挨拶をする。その目元には少しクマができていて、充血までしてしまっている事から、二日は徹夜をしているだろうという事はすぐに分かった。
「何かあったのか?」
嫌な予感がした正臣は、ぐっと全身に力を入れて問いかける。
これまでの渡世人生では決して味わってこなかった「平穏な生活」に慣れかけていて、つい忘れがちになっていたが、自分は萩野組にいつどこで狙われてもおかしくない。だからこそ、おやっさんや優也が根回しをして『ハッピーマート所橋一丁目店』に潜らせてくれているんじゃないか。その優也がここに来たという事は……。
「ついに萩野組から全面戦争の伝手が来たのか? だったら、俺も参戦するぜ? お前はおやっさんと一緒に 一番後ろででんと構えていりゃあいいから」
「いや、その辺はまだ大丈夫だよ」
若頭という身であるがゆえに、現状、今の相良組のナンバー2は正臣という体になっているが、本人からすればそんなものは実にどうでもよく、真のナンバー2は優也であると考えている。優也が孝蔵の後を継いで二代目の組長になっても、自分がやるべき事は何も変わらない。相良組の裏も表も支えられればそれでいい。いざとなったら、優也の壁になって弾除けにでも何でもなる覚悟だ。
だが、そんな心持ちで言った正臣の言葉に対して、優也はゆるゆると首を横に振ってそう答えた。
「確かに
「そうか。おやっさんや他の連中はどうしてんだ?」
「父さんなら、いまだにビジネスヤクザなんてって文句たらたらだけど、何とか企画書に目を通してハンコを押すくらいはできるようになったよ。組の皆も意外と乗り気でさ。大検を目指して勉強したり、職業訓練所に行き始めた奴もいるんだ」
「へ、へえ……」
「あっ。言っておくけど、実際、現場に出てきっちり働いているのはまだ兄さんだけだし、しかもちゃんとできてるんだからね? 皆、『若頭はすげえ!』って褒めまくってたんだから」
「そ、そうかよ……」
優也の少し早口な誉め言葉に恥ずかしくなって、ついそっぽを向いてしまう正臣だったが、すぐに頭の中を切り替える。誰よりも頭の切れる優也が、人目のつかない早朝にわざわざそんな事を言いに来るはずがないという事くらい、長い付き合いである正臣には分かっていたから。
「……優也、そろそろ腹割って話せや」
正臣が低い声に、鋭い目つきを重ねて言った。
「何かあったんだろ?」
今度は、優也の全身にぐっと力がこもる。少しの間を置いてから、優也は「兄さん。兄さんと雫の事で、大事な話があるんだ」と口火を切った。
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