第105話

同時刻。思っていた時間よりだいぶ遅くに家へと戻ってきた祖父を玄関先で出迎えた孫の青年は、その姿を見るなり「どうしたの、じいちゃん⁉」と驚いた声をあげた。


「単三電池買いに行ってただけで、何でそんな土まみれになってんだよ⁉ もしかして、またひったくり犯捕まえてた⁉ それとも痴漢か⁉ いい加減、自分は定年過ぎた年寄りだって事を自覚してくれよ」

「何だ、その言い草は。そんなセリフは、一度でも俺との手合わせに勝ってから言えってんだ」


 ほら、と買ってきたばかりの単三電池を孫に押し付けた祖父――朝倉智吉はそのまま居間へと向かおうとしたので、青年は慌ててそれを引き留め、風呂へ入るように促す。その際、ざっと智吉の体を見渡したが、どこにも怪我一つない事にほっと安堵の息を漏らした。


「その様子だと、相手はKOしたみたいだね」

「ふん、当然だ」


 青年の持ってきた着替えや下着を受け取ってから、智吉は風呂場の手前に設けている洗面所に入る。その際、洗面台の鏡に映った自分の老けた姿を見て、先ほど正臣から何度も言われた言葉が耳の奥から蘇ってきた。


「クソじじいか……。あいつと出会った頃は何とも思っちゃいなかったが、今言われると確かにその通りだな。見た目はすっかりじじいだ」

「え? もしかして今日のじいちゃんが相手をした人って、昔、逮捕した人だったりするのか⁉」

「……いや、逮捕はしてねえな。いつも素早く逃げられて……考えてみりゃ、俺の警察官人生で唯一捕まえられなかった奴かもしれねえな」

「嘘だろ? 『万人仕留めの智吉』が捕まえられなかったなんて、相当大物だったんじゃ」

「今の肩書はそうかもしれねえが、中身はクソガキの頃とちっとも変わってなかったぞ?」


 カッカッカ……とおかしそうに大声で笑う祖父の姿を見るのは、ずいぶんと久しぶりだなあと青年は思った。


 いつも喧嘩ばかりで仲が冷え切っていた両親が離婚した後、どちらについていくか悩んでいた子供時分の青年に手を差し伸べたのは父方の祖父である智吉だった。じいちゃんと一緒に暮らせば、どっちかを選んだだの捨ててしまっただのと悩む必要はなくなるぞと言ってくれたその瞬間から、青年にとって智吉は心から尊敬できる人になった。


 だから、大人になったら祖父と同じ仕事に就こうと決めていた。そして地域に愛された祖父よりももっと頑張って、より多くの人達の為に戦う道を選んでいっていたら、いつのまにか今の部署に配属になっていた。お前みたいな優男に務まるのかとどれだけ揶揄されたか分からなかったが、今のところうまくいっている。


「言っとくけどね。だからと言って、嘱託とかの口利きはしないからな? これまでじいちゃんが俺を育ててくれた分、今度は俺がじいちゃんの世話をするんだからな」

「気にするなって言ってんのに、本当にクソ真面目なんだからよ」

「クソ真面目上等だよ。ほら、ちゃんと温まりなよ?」


 そう言って、青年――朝倉聡一郎は、最後に抱えていたバスタオルを智吉に押し付けた。

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