第101話

チッと舌打ちすると、正臣は調理スペースの一番奥まで下がった。そこまで行くと、店内フロアから調理スペースの様子は全く見えなくなるが、天井近くに取り付けてある鏡を確認すれば、調理スペースでファーストフードを作っていながらもレジ周辺の様子を確認できる。


 このアイデアを考えてくれた乙女と小百合に心の中で感謝しながら、正臣は天井の鏡にそっと視線を向ける。店内にBGMは絶えず流れていたものの、他に客はいなかったせいか浩介達の会話は実によく聞こえていた。


「いや、本当にびっくりしましたよ。この時間なら、もうとっくに寝てるでしょ?」

「おいおい。確かに仕事は定年退職したが、まだそんな年寄り扱いされるほど弱ってはないぞ? 何とか嘱託でもボランティアでもいいから、古巣の手伝いができないものかと孫を懐柔している最中なんだ」

「もう~。仕事はお孫さんに任せて、朝倉さんは楽隠居決め込んでいいんじゃないですか?」

「そうはいかんさ。孫に限らず、最近の若い連中は詰めが甘すぎる。わしが若い頃はあんなもんじゃなかったからな……」


 やっぱりだと、正臣は確信した。


 出会いからもう二十年以上が過ぎ去っているし、威嚇するしか能がなかった痩せぎすの悪ガキだった頃に比べれば、今の正臣はすっかり風格のあるたくましい男へと成長している。それに、あの男も同じように年を取ったが、正臣と違って老いていくのみだ。当時より背も小さく見えるし、何度も正臣を殴ってきた太い両腕も見る影もない。皮の方が少し余って、ぶよぶよしているように見えた。


(定年退職したっていうんなら……どう転ぼうが、奴が以前のように俺を扱う事はできないはず。そもそも体格差も出ている今なら、昔と違って勝てる!)


 若かりし頃から積もりに積もった恨みや怒りといった感情がふつふつと蘇ってきて、正臣は予備のトングに手をかける。潜っている身なのだからタマこそ取りはしないものの、残り少ない人生はどこか遠くの病院に行ってもらおうかと、正臣が息を殺しながらタイミングを計っていたら。


「おい、永岡さん。出てきてオリジナルチキン二つ包んで?」


 どうやら男から追加注文を受けたらしく、浩介が調理スペースにいる正臣に向かって声をかける。普段だったら「へい!」と返事をして言われた通りにする正臣だったが、その言葉を合図にするかのように飛び出してきて、手に持っていた予備のトングを振り下ろそうとした。「往生せえや、このクソじじい!」という言葉と共に。


 だが、それがなされる事は決してなかった。何故ならば、トングの切っ先が男に触れるよりもずっと先に、その彼がポケットに突っ込んでいた小銭の数々を正臣の顔面目がけて思い切り投げ付けてきたからだ。これには正臣もたまらず、驚く浩介の足元に思わずしゃがみこんだ。


「……いってぇ~! 鉛玉マメよりいてえ~‼」

「全く。ガキの頃から相変わらずの攻撃パターンだな、お前は」


 情けなくしゃがみ込む正臣の姿をレジカウンター越しに眺めながら、男は呆れ返ったようなため息をついた。

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