第98話
「初めまして。俺は
「へえ、公務員……お役所勤めでいらっしゃいますか?」
公務員と聞いて、つい反射的にピクリと眉を吊り上げてしまった正臣だったが、一応尋ねてみた言葉に男――いや、聡一郎が困ったように笑いながら「ええ、まあ……」などと答えたものだから、ひとまず信じた。が、それと同時に正臣の背中に雫の容赦も遠慮もない張り手がバシンと決まった。
「いっ……⁉ お嬢、何を」
「それはこっちのセリフ。常連のお客様に失礼でしょ、マサ!」
慌ててそう言うと、雫はすぐに聡一郎の方を振り返って「ごめんなさい!」と頭を下げる。その様を見て聡一郎は急いで首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ。えっと、確か小泉さんだったよね? この人がロールキャベツを作ってあげたいっていうお兄さんなんだ?」
雫は聡一郎の言葉に、心が躍った。今、小泉さんって呼んでくれた? 私の名前、覚えてくれてたんだ。どうしよう、すごく嬉しい……!
「は、はいっ。小泉雫っていいます」
「雫さんか、いい名前だね。これからはそう呼んでもいいかな」
とても優しい笑みでそう尋ねてくる聡一郎。雫の頬はみるみるうちに真っ赤に染め上がり、心臓の鼓動も一気に速まる。だが、甘いムードに入りかけていたその空気を、正臣の圧がこもったにらみが一蹴した。
「お客さん。あいにく俺は、野菜がこの世で一番大嫌いなんでさぁ」
雫と聡一郎の間に割って入るように立つと、正臣は自分より少しだけ背の低い聡一郎に向かってさらに鋭い視線を向けた。
「そのロールキャベツが好きだってのは、俺の兄弟分にしてお嬢の実の兄貴である男よ。見た目はやわな優男だが、気風と度胸を兼ね備えたなかなかの奴だぜ?」
「そうなんですか。それはぜひ会ってみたいですね、友達になれるかもしれないし」
だが、聡一郎はそんな正臣の目に全く怯むどころか、ごくごく普通に会話をしてくる。この様に、さすがの正臣も異様なものを感じていた。
おかしい。人生の大半を極道の世界に生きてきた俺のにらみに耐えられる堅気さんがいるなんて。それこそ、優也とさほど変わらない年頃のしょぼい兄ちゃんが顔色も変えずに平然としていられるなんざ、絶対にありえねえ。どうしてだ……。
まだ短い期間とはいえ、『ハッピーマート所橋一丁目店』で働きだした事によって、これまで培ってきた極道としての
「あ、あの! それなら、ロールキャベツがうまくできたら、兄と一緒に食べに来てもらえますか……なんて」
「うん、いいよ」
実にさらっと、何て事もないふうに快諾してくる聡一郎。雫は思わず息を大きく飲んだ。
「じゃあ、うまく作れるようになったら、お店に来た時にでも教えてくれるかな?」
「は、はい! お待ちしてます、朝倉様!」
「……聡一郎でいいよ」
それじゃあ、またと軽く手を振って、聡一郎は二人の前から立ち去っていく。雫がまたしてもうっとりとした表情で見送る中、正臣はそんな彼女が心底おもしろくなくて、ぎりっと奥歯をかみしめていた。
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