第97話
「お嬢! 学校でのお勤め、ご苦労様です‼」
噓でしょ? と、雫は思った。今この場において、もっとも聞きたくない声だ。どうか聞き間違いでありますようにとムダに祈ったものの、どすどすと何の遠慮もなく近付いてくる足音に観念して、彼女はそろそろと後ろを振り返った。
「マ、マサ……どうして? この時間なら、まだ寝てるはずじゃ」
「帰りが遅いと思いまして、学校までお迎えに行く途中、ここに入っていくお嬢をお見かけしたものですから」
そう言って、ぺこりと頭を下げてきた正臣に、雫は直感で「嘘をついている」と悟った。
長い間、兄妹としての契りを交わしてきただけあって、正臣の癖のようなものは嫌というほど分かり切っている。例えば今のようにもっともらしく理由をつけて話をする時などは、大抵何かしらの隠し事をしているものと決まっているので、おそらくは昨日の夜勤を終わらせた後から一睡もしないで、このスーパーの前で自分の事を待ち伏せていたに違いない。
ただでさえ強面なのに、寝不足で鋭い目つきとなっている男がスーパーの前で立ち尽くしているなど、どれだけの客に不審がられた事か。自分が指名手配されている事をすっかり忘れているかのような正臣の言動に、雫は深いため息をついた。
「見ての通り、買い物中よ」
確か、正臣は今日も夜勤が入っているはずだ。早く帰らせて一瞬でも早く寝かさないと、仕事に影響が出る。それに、この人とももっと話がしたいし……。そう考えた雫は、軽く空いている方の手を振って正臣を遠ざけようと試みた。
「別に荷物持ちとかそんなのは大丈夫だから、先に戻っててよ」
「いや、そういう訳にはいきません。お隣の御仁にもぜひご挨拶しねえと」
あれ? と雫が変に思った時には、すでに正臣は彼女の横をすり抜けていた。そして、その側にいた男の前に立つと、いつものように上半身を軽く屈ませてから挨拶の口火を切った。
「お初にお目にかかります。手前は永岡正臣という半端者であると共に、こちらにおられますお嬢と兄妹の杯を交わしておる者でございます。訳と縁がございまして、お嬢と同じ『ハッピーマート所橋一丁目店』にて草鞋を脱いでおりますゆえ、くれぐれもよろしくお願い致しますぅ……!」
よろしくと自己紹介しておきながら、男に向かってぎろりと強烈な圧をかけてにらみつけている正臣を見て、雫は何となくだが察した。どういうつもりかは知らないが、マサの奴、私の邪魔をしに来たんだと……!
そんなの冗談じゃないと、雫は「マサ、やめなさいよ」と正臣の腕を掴んで引っ張る。こんな事で彼からの印象が台無しになって、変に思われたり……最悪嫌われて、もう二度とお店に来てくれなくなったらどうしようとすっかり焦ってしまった。
だが、そんな雫の焦り、ましてや正臣の強いにらみつけに全く気付いていないのか、男は実に爽やかな笑みを浮かべながら「これはどうもごていねいに」と会釈してきた。
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