第95話
次の日の夕方の事である。この日はバイトも休みで、たまには味噌汁以外にも凝った料理を作ろうかと、雫はいつもよりのんびりとスーパーでの買い物を楽しんでいたのだが、ふと目に留まった『大特価キャベツ100円お一人様一玉まで』というPOPを見て、ふと思い出した。兄・優也の好物がロールキャベツであった事を。
そういえば、もうしばらく兄と会っていない。正臣がやらかした事件をきっかけに、実家である相良組の立て直しをするからしばらく忙しくなるとは聞いていたが、ここ最近は定期的によこしてきたLINEメッセージもご無沙汰だ。
生粋の極道であり、母と別れる原因を作った父・孝蔵の事は今でもはらわたが煮えくり返るほど大嫌いだが、元来とても温和な性格で誰かとの争い事など全く好まない上、多彩な才能に満ち溢れている兄の優也の事を、雫はとても尊敬しているし自慢の兄だと思っている。それゆえに、今の兄が自らその身を置いている状況に納得していなかった。
お兄ちゃんなら、わざわざあのクソ親父の跡目なんか継がなくたって、どんな事にだって挑戦できるし何だってやり遂げる事ができるのに。あんな極道の家なんかさっさと出て、いくらでも明るい未来を掴み取ればいいのに、どうして才能と人生の無駄遣いなんてしているんだろう……。
もうずっと昔から、何年も心の中に抱いていた疑問がキャベツの安売りPOPを見た事でむくむくと膨れ上がってしまった雫は、兄の好物作りにチャレンジする事に決めた。おいしいロールキャベツを食べさせて、心が緩んだところにこの疑問をぶつけてやろうと考えたのだ。
そうと決まればと、雫はキャベツ置き場の中で一番新鮮そうに見える一つに手を伸ばす。きっと何回かは失敗するだろうけど、その都度試作品はマサに食べさせちゃえばいいよねなどと考えていたが、そんな雫の指先へと重なるように少し太い男の手が伸びてきて、ほんのわずかに触れ合った。
「えっ、きゃ……⁉」
「あっ。す、すみません」
反射的に手を引っ込めた雫だったが、慌てるように謝ってきた聞き覚えのある相手の声に驚き、急いでそちらを見やる。すると思った通り、そこにいたのはいつも自分が働く時間帯に『ハッピーマート所橋一丁目店』へと来てくれる、あの若い男だった。
「え、嘘……どうして」
「え? ああ、君はコンビニの!」
男の方もすぐに雫に気付いて、照れ臭そうに頬を赤らめる。買い物カートを携えている彼のかごの中は、かなりの食料品でいっぱいになっていた。
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