第92話
「あ……! い、いらっしゃいませ!」
「……あは、こんにちは。今日も学校が終わってからの仕事なんだね、お疲れ様」
見れば、レジカウンターの中でどこか緊張気味に頬を強張らせている雫がいた。そんな彼女の目の前にいるのは、一人の若い男の客だ。
少なくとも、正臣は初めて見る顔だった。印象としては、優也と同世代で、負けず劣らずの優男じゃねえかと思ったくらいか。
このあたりに住んでいる会社員か何かなのだろう。スーツをまとったその若い男は財布とスマホ以外、何も持っていない。買い求めようとレジカウンターに並べていたのも、炊事は苦手なんですと言わんばかりに、弁当やインスタント食品だらけであった。
「あ……もしかして、今日の晩ごはんにするつもりなんですか?」
レジのスキャナーに商品の数々を通しながら雫がおずおず尋ねると、若い男は決まりが悪そうに頭を掻きながら「うん」と答えていた。
「祖父に憧れて同じ職に就けたまではよかったんだけど、思っていた以上にハードでさ。ゆっくり食事してる暇もなくて……。ちなみに今日で二徹目だよ」
「ええっ!? だ、大丈夫なんですか!?」
「うん、何とか……。あ、これも追加でお願いします」
全ての商品がレジを通り、後は会計だけというタイミングで、若い男はレジカウンターのすぐ脇にあるデザートの棚へと手を伸ばす。ああいう客いるんだよなあと思っていた正臣が次に目にしたのは、先ほど雫に献上しようとしてきっぱり断られた、あのチョコシフォンケーキだった。
これには雫も驚いたようで、少し息を飲んでから、そうっと若い男を上目遣いで見上げた。
「あ、あの……これって」
「今日からの新発売なんだってね」
若い男が棚にかけられていたPOPを指差しながら言った。
「俺、こう見えても甘い物に目がなくて。疲れてる時とか徹夜してる時には、結構食べちゃうんだよ。男のくせに恥ずかしいんだけどね……」
「そ、そんな事ないですよ!」
チョコシフォンケーキをスキャナーに通し、袋詰めまで済ませてから、雫は首を横に振った。
「甘い物が好きな男性だって、素敵ですよ! わ、私もチョコ好きですし」
「そうなの?」
男は雫の手からレジ袋を受け取りながら、嬉しそうに目を輝かす。その際に指先が触れでもしたのか、雫が「あ……」と小さく息を漏らしたのを、正臣はもちろんの事だが、隣のレジ前に立っていた翔太郎も決して見逃さなかった。
「俺もチョコが一番好きなんだ。俺達、好みが似てるね」
ぴったりの代金を払いながら男は言うが、雫はこくこくと頷くだけしかできなくなっていた。そんな彼女に男は「お互いに仕事頑張ろうね」と言って、爽やかに店から去っていく。
雫は遠くなっていく彼の背中を、いつまでも見つめていた……。
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