第91話

「大丈夫? 永岡さん……」

「はは……まあ、鉛玉マメ食らった時よりはマシですから」


 雫や翔太郎と入れ替わる形でバックヤードに入ってきた乙女は、そこの床にうつ伏せで倒れ込んでいる正臣を見て、かなり慌てふためいた。確かに、やたらバックヤードが騒がしいなと思っていたが……。


「雫ちゃんとケンカでもしちゃった? ちょっとお客様の前に出ちゃいけない顔になってたから、落ち着くようには言っといたけど……」

「いや、すんません。まだ訳が分かんねえですが、どうも俺が下手を打ったみたいなんで……」


 体を起こしながらそう言うと、正臣は机の上にぽつんとほったらかしにされたまま、手つかずとなっているチョコシフォンケーキを見つめた。


 あんなお嬢、見た事ねえ。いつだってチョコとくれば、目の色変えて飛び付いていたのに。まだ姐さんが生きてた頃も、保育園帰りにチョコが欲しいと駄々こねまくって、俺がこっそり買ってやったら、速攻でバレた挙げ句、姐さんからのげんこつ食らったもんだ……。


「こぶしの握り込み、腰の落とし方、独特のひねりも追加した突き出し方まで、何もかもが姐さんの生き写しだったですよ……」


 苦笑いを浮かべながら、机の上のケーキを片付けようと正臣は手を伸ばす。あれほど頑なに拒まれたのだから、少なくとも今日はもうだめだ。


 これは俺が後で食うか……と、正臣が思った時だった。


「……はは〜ん。私、どうしてか分かっちゃったかも」


 ふいに、乙女が店内フロアとバックヤードを繋ぐドアの隙間の向こうを見ながら、そんな事を言い出した。それに正臣はギュルンと擬音が出そうなほど盛大に振り返り、乙女に問い詰めた。


「て、店長さん! 何か知ってるんですかい!?」

「知ってるというより、たった今、察しが付いちゃったって感じなんだけど……知りたい?」

「もちろんでさぁ!」


 いくら潜っている身とはいえ、縁があって雫と同じ職場に立っている以上、彼女の事は何でも把握しておくのは当然だと正臣は考えている。万一、お嬢の身に何かあったら、おやっさんや優也、何より天国の姐さんに顔向けできねえ。指が何本あっても足りねえよとまで……。


「教えて下さい、店長さん! お嬢に一体何があったのか……!」


 勢いよく頭を下げる正臣に軽いため息を吐いてから、乙女は「じゃあ……」と手を招いた。


「ここから静かに、そうっと覗いてごらんなさい?」

「は、はいっ!」


 急いで答えると、正臣は乙女のすぐ側まで近づき、ドアの隙間の向こうを覗いた。するとどうだろう、正臣の極道漬けの頭では全く想定できなかった事態が、店のフロアで展開されていた。

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