第86話
「……ここまでが、俺がこの目で見てきた事の全てでございやす」
万一に備えて、優也に正臣の様子を見守るよう厳命を受けていた構成員が、最後にそう言って報告を締めくくる。そしてゆっくりと顔を上げて見れば、構成員の目の前にはこれでもかとばかりに険しい顔つきをしてみせる孝蔵と優也の姿があった。
孝蔵だけならともかく、優也までぐっと歯を噛みしめるようにして感情を抑えつけている姿を見せるのはなかなかに珍しい。それゆえに、構成員は心底恐れおののきながらも、「お、おやっさん……? 優也さんも、どうしたんですか……?」と震える声で尋ねてみた。
「な、何か、俺の報告に足りねえところがありましたでしょうか……」
「……いや、大丈夫だよ。ご苦労だったね、ありがとう」
顔つき自体は変わらないが、それでもいつものように優しい口調で労いの言葉をかける優也。これ以上は触らぬ神に祟りなしと踏んだのか、構成員は慌てて一礼すると、バタバタとした足取りで部屋から出て行った。
二人きりになった部屋は、ほんの少しの間だけしんと静まり返っていたが、やがて孝蔵の歯ぎしりの音が部屋いっぱいに響き始めた。
「新本に、朝倉だとぉ……!?」
実に忌々しげに、孝蔵が口を開いた。
「何であの二人が、乙女ちゃんの店にいるんだ……!? まさか乙女ちゃん、俺の事を裏切って、正臣を売るつもりじゃ……!?」
「それは世界がひっくり返ってもあり得ないだろ、父さん。たぶん、乙女おばさんも知らないんだよ。あの二人の事を……!」
そう言って、優也は両手のこぶしを感情の赴くままに握り込む。指の間から、わずかに血が滲み出ていた。
「今回は父さんのせいじゃない、僕の調査不足によるミスだ。乙女おばさんのお店だからって安心せず、従業員の身辺調査も徹底的にやるべきだった。さっきの彼の言った通り、確かに兄さんは大変な事に巻き込まれかけてるよ」
「おい、優也。そう言えば、この間ガサ入れに来ていたあの若い刑事の名前も、確か……」
「うん、一緒だったね……」
もう、一刻の猶予もないのかもしれない。もし万が一、あの二人のどちらかでも正臣の正体に気付かれてしまえば、今回の計画は全てパアだ。いや、それどころか、指名手配を受けている正臣はあっという間に捕まってしまうだろうし、そうなったら相良組も間違いなく共倒れとなる。そして、堅気として平穏に生きようとしている雫にも少なからず何かしらの影響を被らせてしまうだろう。
「父さん。戦争とまでは行かないけど、兄さんと雫の身柄を他に移すべきだよ」
優也の提案に、孝蔵は静かに頷いた。
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