第78話

それからわずか三十分後の事だ。『ハッピーマート所橋一丁目店』にやってきた一人の老人が、いつもとは全く違う店内の様子にひどく驚いた様子を見せたのは。


 彼は『ハッピーマート所橋一丁目店』の朝の時間に訪れる常連である。毎朝決まった時間に散歩をする為に家を出て、その帰り道に位置しているこの店に朝食を買いに立ち寄ってくれる。今日は食パンの気分だったので、五枚切りのそれを一袋とヨーグルトに牛乳、ついでに晩酌用のカップ酒でも買おうかと思いながら入ったところ……。


「い、いらっしゃいませ~……」

「おいこら、何だそのちっせえ声は!! そんな蚊の鳴くような声でお客様に聞こえるとでも思ってんのかよ!?」


 最近、ほんの少し聞こえづらくなってきた彼の耳にもはっきり届いたその怒声は、間違いなく夜勤を担当していたはずの新本浩介のものだった。


 常連となってかなりの期間が過ぎていた為、老人は『ハッピーマート所橋一丁目店』のスタッフの顔と名前は全員分記憶している。定年をとっくに過ぎて退職したにもかかわらず、長年の癖が抜け切らない彼は頭の中でとっさにスタッフ一人一人の印象を思い起こした。


 まずは店長の木下乙女さん。彼女は本当に大したものだ。ご主人を亡くして寂しいだろうに、気丈にも女手一つでこの店を毎日支えている。その人柄も素晴らしく、それに惹かれるように集まってきたスタッフ達も、彼女所有のアパートに住み込んで働いている者ばかりだ。


 一番の古参である柏木小百合さんは、最近目に見えて明るくなった。ついこの間まで何か深い悩み事でも抱えていたのか、仕事自体はしっかりこなしているものの、時折何度もため息を吐いたり暗い顔をしていたというのに、今ではまるで別人のようだ。


 その次に長いのが、天野翔太郎君か。詳しくは知らないが、目の下のクマがその若さに似合わない相当の苦労をしているのだろうという事を雄弁に物語っている。老婆心ながら、いつかその苦労が何かしらの幸福に繋がってくれる事を祈っている。


 彼の次に若いのが、高校生バイトの相良雫さん。親元を離れ、一人暮らしをしながら高校に通っていると聞いた時は、ひどく感心したものだ。あまり身の上の事を話したがらないが、たまに道ですれ違うと二言三言と言葉を交わしてくれる優しく気立てのいい娘さんだ。こんなふうに育てた親御さんは、きっとよほど徳の高い人物なのだろう。


 そして最後に覚えているのが、新本浩介君だなと老人は改めてレジの方へと目を向ける。夜勤担当であるゆえ、彼の仕事上がりに何度か顔を見た程度で、まだそれほど多くの会話を交わす機会に恵まれていない。最後に話をしたのは、確か半月ほど前。「もうすぐ新しいスタッフが入るみたいなんで、よかったらそいつも覚えてやって下さい」と言われたのではなかったか。


 もしかして、その新しいスタッフの研修か何かでまだ居残っているのだろうかと思った老人だったが、レジの中の異様な様子を見て、これは決してそんな生易しいものではないと直感した。

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