第49話
その日の夕方、血相を変えた雫は急いでアパートに戻るべく、通学路を一気に走り抜けようとしていた。道中、何人かのクラスメイトから「宮前さん、文化祭の買い出しに付き合ってほしいんだけど」とか「見映えのいいモデルガンとか模造刀を売ってる店知らねえか?」などと不穏な声かけをされたが、どれにも大きな声で「ごめん、今日は無理!!」と突っぱねて走り続けた。
兄の優也から久しぶりに連絡が来たかと思ったら、まさかの嫌な予感的中だった。学校にいる間も、せめて三日くらいはもってほしいとひたすら心の中で願っていたのに、まさか半日ももたなかっただなんて……! 幼い頃から充分に分かっていた事とはいえ、自分の兄貴分の堪忍袋の緒がこんなにも短かった事に雫はひたすら辟易していた。
せっかく楽しみにしていた文化祭の準備も放り投げ、それ用の荷物を通学用のカバンいっぱいに詰め込んだまま走ってきた雫の息は、アパートが目の前に見えてきた頃にはもう絶え絶えだった。だが、それでも正臣の部屋のドアが重々しくガチャリと開かれたのを見た時は、ほっとしたものである。
「よ、よかった……、間に合った……」
ぜいぜいと切れ続ける息を何とか整えて、雫はそこから出てくるであろう正臣を迎える為、パンパンに膨れ上がったカバンを足元にどかりと置いて、厳つく腕組みをする。本当なら優也にも来てほしかったのだが、所用があって、すぐにはこっちまで来れないとの事だ。
『雫の言う事なら無下にはしないだろうから、僕が行くまで兄さんを足止めしておいてほしいんだ。お前だって、兄さんが手錠をかけられるところなんか見たくないだろ? この通り、頼むよ!』
電話口から聞こえてきた、情けない声色だった優也の言葉を思い出す。全くお兄ちゃんったら! 私に泣き付くくらいだったら、最初からマサに何も教えなきゃよかったのに!
開かれたドアの向こうから、ぬっと大きな人影が現れる。それに向かって、雫は声を張り上げた。
「ちょっとマサ、お兄ちゃんから話は聞いたわよ! 私の言う事聞かずに、どこへ行くつもりなの!?」
「……っ、お嬢ですか!? お勤めご苦労様です!!」
雫の声に反応した正臣が、反射的に上半身を屈めて挨拶をする。それだけだったら雫は何も気に留めやしなかったのだが、如何せん、彼の格好が何から何までアウトだった。
「ねえ、マサ……。何よ、その格好は」
「何って、決まってるでしょう。俺達極道がカチコミする際の、伝統的な正装って奴ですよ」
そう答えた正臣の格好とは、少し大きめの黒い無地スーツの上下にサングラスといったものだった。しかしスーツの下はインナーシャツではなく、胸元だけをサラシで巻いていて、鍛え上げられて六つに割れた腹筋が惜しげもなく、雫の眼前に広がっていた。
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