第43話
「……いいか? お嬢はな、こんなちっせえ頃からとってもかわいらしいお方でな」
「離して下さいってばぁ~!」
アパートから『ハッピーマート所橋一丁目店』の自動ドア前へと移動するまでわずか五分間であったが、天野には永遠に続く長さに感じられた。それだけ、正臣の拘束はがっちりとしていて外れなかったし、その口から出てくるのは雫に関する褒め言葉ばかりで、天野はいろんな意味で悔しくてたまらなかった。
もう少し、自分の体が大きくて力も強かったら。この男の十分の一でもいいから、度胸もあったら。そして何より、雫ちゃんの事をこんなに力強く語れるような自信を持っていたら、どんなによかったか。そもそも、あんな事さえなかったら……!
そんな嫌な事を思い出しかけていた時だった。ふいに天野の肩口から正臣の腕が外れて、ふっと窮屈さがなくなったのは。
つい、ぶはっと反射的に大きな息を吐き、解放感に安堵する天野だったが、彼の視線の先にいた正臣の様子のおかしさに気付いた。今は昼のピークがとっくに過ぎている時間帯なんだから、乙女と小百合ならトイレと床掃除に勤しんでいるはずだ。
「え……どうしたんですか? 何で入らないんですか?」
「しっ、静かにしろ……」
正臣は小声でそう言うと、天野の腕を引いて自動ドアの真横の壁に背中をぴたりと張り付かせる。そしてやや緊張した面持ちのまま、そうっと自動ドアの向こうを覗き込んだ。すると。
「やっと見つけたぞ、小百合ぃ! まさか、こんな所で働いてたなんてなぁ!!」
店内から響いてきたものすごい大声に天野の体は一気に委縮したが、頭の中はいろんな思考でぐちゃぐちゃになった。
ああ~! 柏木さんったら、また変な客に絡まれてる~!! 柏木さん、根はすごくいい人だとは思うんだけど、ちょっと内気で暗いところもあるから、うちの店で客に絡まれる確率ダントツNo.1なんだよなぁ~。店長さんみたいに軽くあしらう事も、雫ちゃんみたいに強気に言い負かす事もできないで、いつも黙ってうつむいてばかりだから、余計に絡まれるっていうか……。ていうか、何でだいたい僕と一緒の時にそういうトラブル起こすかなぁ。そりゃ、僕だって男なんだから助けてあげたいって気持ちはもちろんあるんだけど、柏木さんに絡む客ってほとんどが男で、しかも怖そうな人達ばっかりじゃん! どうしても、どうしてもあいつらを思い出しちゃうから、怖くて動けなくなるんだよ……! ああ、もう店長に頼んで、柏木さんと同じシフトに入れるの減らしてもらおうかな……て、いやいや! こんな事考えてちゃダメだ、僕! ここで働いて、一人前の社会人目指して変わるんだって決めただろ!! き、今日こそ、柏木さんを助けなくちゃ!!
「な、何かトラブルみたいだから、僕達二人で助けに……て、嘘ぉ~~~~~!!」
隣にいるはずの正臣に向かって言ったつもりだったが、すでにそこには影も形も見当たらず、驚いた天野は急いで『ハッピーマート所橋一丁目店』の自動ドアをくぐる。するとその視線の先には、小百合に絡んでいる男の元へとつかつか進んでいく正臣の大きな背中があった。
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