第39話
「……全く。初日だし何かしらやらかすとは思ってたけど、逆に安心したっていうか。笑い話になってよかったわね」
午前七時。自身の部屋で制服に着替え終えた雫は、あきれたようにそう言いながら朝食の準備を終える。硬質ガラス製のローテーブルに乗せられたそれらを目の前に、正臣は雫の話を神妙な面持ちで聞いていた。
「すみません、お嬢。朝っぱらからつまらねえ話を聞かせちまって……。俺とした事が、一生もんの不覚です」
「慌てず落ち着いてやり直すか、新本さんの言う通りにして任せるかすればよかったのに。たかだか一円玉の棒金一本で大騒ぎするなんてね」
そう、全ては正臣の勘違いだった。夜勤の最後の仕事としてレジ内点検のやり方を浩介から教わっていたのだが、うっかり一円玉の棒金一本を数え損ねていたのだ。
そんな状態では、何度パソコンのデータとすり合わせたところで、売り上げと釣り銭金額が一致するはずがない。だが、「まあ、滅多な事で誤差が出るはずもないんだけどな」と言っていた浩介の言葉を正臣は鵜呑みにしていたし、彼の単純な脳細胞では「何かしら見落としがあったのかもしれない」という思考に結びつかなかったのである。
「本当にすみません、お嬢」
浩介は元より、乙女にも大笑いされるし、おとなしいタイプである小百合からも苦笑いを浮かべられる始末に、正臣はますますしょげてしまっていた。
「何分、つい三年前の事が頭の中を掠めましてしまいまして。あん時は、相手がブツの中身を10キロもごまかしてたのがきっかけで、かなり血を見る事になりやしたし、おやっさんからも相当に絞られて……」
「だから! いつまでもそっちの世界と同じように行動されても困るんだってば!」
ほら、と雫は出来たての味噌汁が注がれた椀を正臣に差し出す。ほわっと温かな湯気が立ち上る椀を反射的に受け取ってしまったが、豆腐とわかめが具になっている中身を見た瞬間、それまで反省と後悔で強張っていた正臣の表情が一気に緩んだ。
「懐かしいです、姐さんの味噌汁と同じだ……」
「そりゃあ、ママ直伝だもの。具は、そんなに多くないけどさ」
「そんな事ありやせん。砂のお茶と泥団子しか作れなかったあの頃に比べたら、こんなに美味そうなメシが作れるようになってるじゃありやせんか」
「……悪かったわよ! 子供の頃、お兄ちゃんとマサに無理矢理泥団子を食べさせて! 全く、いつまで言ってんのよ!」
「千人殺しのマサに初めて膝を付かせたお相手と手段なんですから、一生覚えておきますぜ」
「バカ! もう、早く食べちゃってよ! 遅刻しちゃう!」
正臣の正面に姿勢よく座った雫が、ていねいに両手を合わせて「いただきます」と口にする。それより一拍遅れて正臣も「頂戴致しやす!」と両手を合わせた。
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