第38話

いつもであれば、この時間は夜勤担当の最後の仕事として、引き継ぎの為のレジ内点検が行われている頃だった。


 ほんの数年ほど前まではいちいち手作業でお札や硬貨を数えていたものだったが、今はだいぶ便利になっていて、レジの専用ボタンをぽちっと押すだけで、後は機械が勝手に計算と金銭内訳をしてくれるようになった。そうすれば後は予備銭金庫の中の合計を確認し、バックヤードにあるパソコンに打ち込むだけで終了。大して難しくもない、誰にでもできる簡単な作業である。


 だが、レジカウンターの中で、毎日のごとくそんな簡単な作業をしているはずの浩介の表情がひどく冴えない。いつもなら乙女と小百合が店内に入ってきたらすぐに気が付いて、「お二人とも、おはようございます!」と会釈してくれるのに、そんな余裕もないのか、深いため息をついてうなだれている。


 平均、週五回以上で夜勤に入ってくれているのだから、そろそろ疲れもたまってきているのかもしれないと乙女は一瞬思ったが、浩介の傍らにいなければならないはずの人影がいない事に驚き、慌てて声を出した。


「に、新本君! 永岡さんは!?」

「あ、店長……。おはようございます……」


 乙女の声に、浩介はようやくそちらを振り返って会釈する。その元気のない様子に、小百合もひどく驚きながら「ど、どうしたの!?」と言葉を重ねた。


「何かトラブル!? 厄介なお客さんとか来ちゃった!?」

「いや、そうじゃないんですけど……」

 

 浩介はそろそろと右腕を上げて、バックヤードの扉の方を指差す。すると、店内BGMに紛れて正臣の怒号がうっすらと聞こえてきた。


「……何でだ!? いったいどうなってんだ、クソがあ‼」

「な、永岡さん!?」


 正臣の大きな声に、小百合の体が反射的に委縮する。それに気付いた乙女は早足でバックヤードに向かった。


(とにかく、大きな声をやめさせなくちゃ。永岡さんはあんまり目立たせちゃいけないし、何より柏木さんにもよくないわ)


 そう思いながら、乙女がバックヤードの扉を押し開くと。


「何でだ、ちくしょう……。このままじゃ、店長さんに顔向けできねえ。お嬢にも恥かかせちまう……」


 パソコンを前に、デスクに上半身を預けてぐったりと打ちひしがれている正臣の姿があった。


「な、永岡さん……? どうしたの?」

「……店長さん。責任持ってエンコ詰めさせていただきますんで、はさみか包丁貸して下さい……」


 乙女に気が付いたらしい正臣は、顔は伏せたまま、目玉だけをぎょろりと動かしてそう懇願した。


「すみません、店長さん。新本のアニキからは、決してミスは許されねえ仕事だと教わったのに、俺はさっそく……」

「な、何があったの? 新本君は何て?」

「『俺が代わりにやるから』って言ってくれてますが、そんな筋が通らねえ事はさせられねえです! 俺ぁ、飛ぶのは一回だけで充分だ!」

「だ、だから、いったい何が」

「五十円」

「え?」

「……何度やっても、金庫の中の金が五十円足りねえんです!」

 

 そう言って、ばっと顔を上げてきた正臣はひどく切羽詰まった表情をしている。だが、何となく見当が付いた乙女は、思わずププッと笑ってしまった。

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