第31話
「姐さん、ご挨拶が遅れて本当に申し訳ございません。できる事ならこの正臣、もういっぺん姐さんにぶっ叩かれたいです……」
頭を下げたまま、正臣は在りし日の晶子を思い浮かべた。
本当に和服姿がよく似合う、凛としたお人だった。そんじょそこらの男どもよりもよっぽど気合いが入っていたし、心根も強かった。まだガキだった俺がちょくちょくヘマをやらかせば、おやっさんが叱るよりも真っ先にビンタをしてきて、「マサも男なら、もっとしっかりしなさいや!」と何度喝を入れてくれたか知れねえ。
姐さんを轢いた車が堅気さんのものでなく、どこかの組連中のものだったらよかったのに。そしたら、いくらでも姐さんの仇を討つ事ができたのに。もう、そんな決して叶わない事を思いながら、正臣は晶子の位牌と遺影に向かって改めて誓った。
「縁あって、これからこの正臣、『ハッピーマート所橋一丁目店』のケツモチをやらせていただく事に相成りました。おやっさんや優也の為、相良組の明るい未来の為に拙いながらも尽力し、なおかつ萩野組の連中にはお嬢の髪一筋たりとも触れさせず守り切る事をお誓い致しやす。どうか、空の上から見守っててやって下さい……!」
「マ、マサ……」
自分の記憶の中よりもずっと野太い声になってしまっている正臣は、何だか知らない他人のように見えて、そんな事を思ってしまった雫は慌てて首を横にぶんぶんと振った。何考えてんのよ、雫。マサは私の大事な、もう一人のお兄ちゃんでしょ!
「大丈夫よ、マサ!」
わざとらしく、自分のこぶしを胸元に叩き付けながら雫は言った。
「こう見えても私、通信空手で結構鍛えてんだから。ママ直伝の回し蹴りなんか、得意中の得意だし? 何かあってもすぐにマサに頼らなきゃいけないなんて事はないわよ」
「萩野組を甘く見ちゃあいけませんぜ、お嬢! 奴らは若い女をさらって好き放題やりたい放題を決め込んでるともっぱらの噂なんです。姐さん譲りの美貌を持ち合わせてるお嬢なんか、格好の的じゃありませんか。なので、この正臣が二十四時間みっちりとお嬢のガードも務めさせてもら……」
「ううん。今のマサがやらなきゃいけないのは私のボディーガードより、うちのお店の新人研修だから」
ぴしゃりとそう言い切った後、雫は正臣へさらにいろいろと話した。
正臣が使うアパートの部屋は、雫の真上の位置にある空き室になる事。その右隣がさっき『ハッピーマート所橋一丁目店』で会った天野君の部屋で、逆の左隣が一緒に夜勤に入るもう一人の男性従業員の部屋になる事。もうそろそろ起きてくる事だろうから、一緒に働くにあたってきちんと挨拶はしておく事。それから……。
「く・れ・ぐ・れ・も! 私達の事、悟られないようにしてよね!? 私はちょっと不幸な身の上の女子高生で、マサとは遠い親戚関係。そんでもってマサは社会復帰を目指している引きこもりかつニート歴何十年のおじさん! この設定を絶対に忘れないで!」
「へ、へいっ! 正直、あまり納得いかねえですが、誠心誠意努めさせていただきやす!」
「バレたらどうなるか……分かってるわよね!?」
ものすごい圧を含ませながら、じろりとにらみつけてくる雫のその姿は、やはり在りし日の晶子によく似ている。正臣はそれに逆らう術など持っていないので、ただひたすら頷き返す事しかできなかった。
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