第16話

「それじゃあ、乙女ちゃん。迷惑かけちまうが、正臣の事くれぐれも頼むな」

「僕からもお願いします、乙女おばさん。絶対悪いようにはしないよう、僕達も頑張りますから」


 それぞれそう言って、乙女に頭を深々と下げてからベンツに乗り込んでいく孝蔵と優也。やがて、そのベンツが静かに目の前からゆっくりと遠ざかっていくと、正臣はいよいよ覚悟を決めて、ぐっと口元を引き締めた。


 これからどんな所に連れていかれる事になろうと、うまく潜り続けて行かなくてはならない。自分がこの乙女の下で失態を犯し、警察にむざむざ捕まるような事が起こってしまえば、堅気を巻き込んでしまった事はもちろん、相良組が本当に崩壊しかねる事態になりかねないのだから。


 絶対に、耐え忍んでみせる。かつて二十代の頃、ヘマをして敵対していた組に一ヵ月もの間監禁されていた事もあったが、何一つ口を割らず、厳しい拷問にも耐えきった上、逆にそいつらを半殺しにして脱走してきた経験だってある俺だ。今度だって、必ず……!


「じゃあ、木下さん。どこへなりと連れてって下さい」


 正臣は前屈みになりながら、小さくなっていくベンツに手を振って見送る乙女に声をかけた。


「この千人殺しのマサ、決してご迷惑をおかけしないよう努めてまいります。あと、お世話になる身でありながら、何もしないってのも性に合わねえんで、何か言い付けがありましたら遠慮なく言って下さい。今なら、用心棒ケツモチでも寺銭てらせん回収でも、何なら露天バイの出店だってやりますぜ」

「え? 今からいいの?」


 正臣の言葉を聞いて、乙女はびっくりしたように息を飲んだ。


「今日はとりあえずうちに来てもらって、ゆっくり休んでもらおうと思ってたんだけど」

「そういう訳にはいかないですよ。今日からおまんま食わせてもらうからには、それなりの働きを見せなきゃ男が廃るってもんです」

「永岡さん、ありがとう。そう言ってくれると助かるわ」


 乙女はゴツゴツとした正臣の両手をぎゅっとつかみ、そのまま優しく握り込む。そんな事など生まれてこの方一度としてされた事のなかった正臣は、一瞬思わず全身が強張り、顔が真っ赤になった。


「き、木下さん……い、いけねえよ。こんな往来で、こんな恥ずかしい真似したら」

「さっきも言ったけど、本当に私自身困ってるところだったの。だから、永岡さんがそうやってやる気を見せてくれて嬉しい。さっそく甘えちゃっていいかしら?」


 正臣の言葉を遮ってそう言うと、乙女はそのまま彼の手を引っ張ってぐんぐんと歩きだした。正臣は反射的に両足を踏ん張るが、乙女の年齢とは全くそぐわない力強さは全くものともせずに正臣を引きずっていく。やっぱりただ者じゃねえ、と正臣は思った。


「き、木下さん、どこへ!?」

「大丈夫よ、すぐそこだから」


 そう言って、乙女は正臣を引っ張り続けていった。

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