第15話

「ちょっ……、あなたにいなくなられると困るんだってば!!」


 全く、何の遠慮もなく伸ばされてきた乙女の右腕が、がっちりと正臣の襟を背後から掴む。またしても不覚を取ってしまった正臣は、アヒルが鳴くように「ぐえっ」と声を詰まらせると、そのまま三度目の尻もちを思いきり付く格好になった。


「ぐっ……げっほげほ! おい、オバハン! お前、やっぱりただもんじゃ……」

「あらやだ。つい力が入っちゃった。大丈夫、永岡さん?」


 それこそ全く悪気はなかったのだと言わんばかりの、本当に曇りのない目で心配そうに正臣の側に屈み込む乙女。だが、三度も知りを付かされてしまった正臣としては、もう条件反射にでもなってしまったのか、思わずびくりと身構えてその太い両腕は防御の姿勢を取る。そんな彼の姿に、孝蔵も優也も思わず吹き出してしまった。


「くくっ……もう、兄さんったら」

「ふふふ……おい、正臣。お前、そう何度もやられてちゃ、極道の立場ってもんがなくなるだろうが」


 孝蔵のその言葉に、正臣はさあっと全身の血が引いていくような感覚に陥る。自分から極道というアイデンティティがなくなってしまったら、他にいったい何が残るというのだろうか。正臣は慌てて頭を下げた。


「申し訳ありません、おやっさん。相良組の若頭として、何より『千人殺しのマサ』と呼ばれておきながら、一生の不覚でありやす!」

「いやいや、いいって事よ。むしろこれからは、その立場を忘れてもらわなくちゃいけねえんだからよ。なあ、乙女ちゃん?」


 孝蔵の呼びかけに、乙女がこくりと頷く。そしてその言葉の意味を計りかねて首をかしげている正臣に、力強いその眼差しをさらに向けながら言った。


「コウちゃんや優也君に頼まれたって事もあるけど、私自身困っているって事もあるの。だから永岡さん、その……ほとぼり? ってものが冷めるまで、私の所においでなさいな。絶対に悪いようにはしないから」

「え……」

「大丈夫。他にもあなたと境遇が似ていて預かっている人が何人もいるけど、きっと仲良くなれると思うわ。だから永岡さん、何も心配せず私の所に来てちょうだい? ね?」


 さっと両手を伸ばして、正臣のそれをぎゅうっと握り込む乙女。そんな彼女の後押しをするかのように、優也も「兄さん、僕からも頼むよ。乙女おばさんの所が一番安全なんだから」と言ってくる。孝蔵は黙っているが、じっとこちらの方を見つめ続けたままだ。


 ダメだ、逃げ場がねえ。中学もまともに行ってねえ頭じゃ、自力でこの場をしのぐ方法も思い付かねえ……。


 考えるより先にこぶしが出るタイプである正臣に、長考なんぞができるはずもない。三十秒と経たないうちに考える事を放棄した正臣の口からは、「分かった。全部よしなに頼むぜ……」とだけしか出てこなかった。

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