第13話

そして今、孝蔵と優也、中年女性は店の一番奥のボックス席に座って和やかな会話をしている。一体全体、何がどうなってやがるんだと自分の頭では絶対に出てこない疑問の答えを求めながら、正臣はマスターが入れてくれた人数分のホットコーヒーを盆に乗せて運んできた。


「……コ、コーヒーです。砂糖やミルクも置いておきやす」

「あら、ありがとう。ねえ、あなたも一緒にここに座ってお話しましょうよ」

「い、いや、俺は……」


 中年女性が空いている自分の隣を指差して微笑みかけるが、正臣は緩く首を横に振って、そのまま軽く両膝を曲げて前屈みになった。孝蔵と同じ席に座ってのんきにコーヒーなんぞとという体もあったが、この正体不明の中年女性の隣に安易に座るのは危険だと判断した為だ。


 おやっさんを親しげに、コ、コ、コウちゃん……なんて呼び、俺を難なくすっ転ばせるようなスケだ。もしかしたら鉄砲玉どころか、おやっさんと同等の伝説を持っている極道のオンナかもしれねえ。


 ならば……と、相手の反応を窺う意味も込めて、正臣は深々と頭を下げながら挨拶の口上を述べ始めた。


「先ほどは大変失礼致しやした。自分は相良組で若頭を務めておりやす、永岡正臣という半端者でございます。以後、お見知り置きを」

「あら、永岡さんっていうの? そういえば、私もまだ挨拶してなかったわよね。ごめんなさい、私は木下乙女きのしたおとめっていいます」


 マイペースな口調でそう挨拶を返す中年女性――いや、乙女に正臣は毒気が抜かれそうになるのを必死に堪える。ぐぐっと前屈みの体勢を維持したまま、乙女の顔をじっと見つめた。


「先ほど、俺をすっ転ばせた体術、見事なものでした。さぞ、名のある組のねえさんかとお見受けしますが」

「え、体術? やだ、通信教育のダイエットダンスだって全然続かないのに~。あ、でも、重いコンテナをいくつも運んでいるから、力だけは付いちゃってるかも?」


 そう言って、ケラケラと笑う乙女。そんな彼女を見て、孝蔵や優也もププッと小さく笑っている。正臣は自分一人だけが何だか置き去りにされてしまっているような気がして、少々不安になった。


 え? 俺、何か間違ってるか? どこかの組の姐さんじゃないんなら、どこの組織の運び屋だ? おやっさんも優也も俺を潜らせるって言ってくれたが、まさかこのオバハンが水先案内人? いやいや、確かにさっきはすっ転ばされたが、油断さえしなきゃこんな堅気の雰囲気丸出しの小太りオバハンが、裏の世界で生き残っていけるとは到底思えねえぞ。いったい、何がどうなってやがる……。


 実に分かりやすく、顔じゅうにクエスチョンマークを貼り付けている感じの正臣を見て、孝蔵が「大丈夫だ、正臣。体、楽にしろや」と言ってきてくれた。


「まずは、この乙女ちゃんだが、俺とは古い付き合いよ。かれこれ、もう半世紀近く一緒に」

「おやっさん、お言葉を遮るようで申し訳ありませんが、俺にはまだ覚悟ができていません」

「あ? 何の覚悟だ? ここまで来て、まさかお前ビビってんじゃ」

「ビビりますよ……! まさか、まさかこのタイミングでおやっさんから再婚の報告を頂く事になるなんて思わねえじゃないですか!!」

「……は?」

「俺は、俺は例え何百回ケンカしても籍を抜いたとしても、おやっさんの真心はあねさんにのみ向いていると思ってたのに!! 何で次の姐さんにまっさらそうな堅気のオバハンを選ぶんですか!! こんなんじゃ組員一同は元より、優也やお嬢だって納得が」

「……ちょっと、兄さん落ち着いて! 少なくとも、僕は納得してるよ! あと、それは盛大な勘違いだって!!」


 ギャアギャアと騒ぎだす正臣を優也が抑えつける様を、乙女は「おもしろい方ねえ、永岡さんって」と、またケラケラ笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る