第9話

青年は、名を相良優也さがらゆうやといった。年は二十二歳で、今年大学四年生。正臣の言う通り、れっきとした孝蔵の血を引く息子であり、本来ならば相良組の跡取りとして、正臣を始めとした全ての組員から相応の扱いを受けているべき立場である。

 

 しかし、優也が中学卒業を迎えた十五歳の時、孝蔵と妻が何百回目かの大ゲンカの末、ついに離婚。妻は優也の妹に当たる娘を引き取って、相良組を後にした。


 それと同時に優也が超が三つは付くほどの有名な偏差値の高い高校に進学した事から、相良組の間で派閥が二つ生まれてしまった。一つはその頃にはすでに相良組で一、二を争うほどの実力を身に付けていた正臣を次の組長へと推す派。そしてもう一つは、孝蔵の血を引いている上、頭脳明晰極まりない優也こそが次の組長だと推す派だ。


 極道の組の中で複数の派閥が生まれる事は、近い将来、必ず争いの元になる。実際、血気盛んな下っ端連中がその事で何度か小さな揉め事を起こしていたが、それでも相良組が内部崩壊せずに今も生き残っているのは、当の本人である正臣と優也に争い合う気が全くないからである。


 先ほども本人が言った通り、正臣は十三の年で両親が相次いで亡くなり、紆余曲折あった上で相良組に身を置く事になった。その当時、優也は二歳であり、まだ抗争や取り引きの現場に出向くには少年の身であった正臣は、まずは孝蔵の妻と一緒に優也の世話係をする事になった。


 そのおかげか、優也は物心ついた頃にはすっかり正臣に懐き、後に生まれてきた妹と同様に、正臣を兄と呼んで心から慕った。一人っ子だった正臣も、無垢な心で自分を慕ってくれる兄妹に心を許し、「三人で兄弟分の契りを立てましょうや!」とお猪口にジュースを注いでさかずきを交わすという遊びを何度もしたものだ。


 孝蔵と妻が離婚する事が決まった際、優也と妹は離れ離れになってしまう事を悲しみ、一晩中お互いを抱きしめ合って泣いていた。そんな二人の姿を見て、おやっさんの跡取りともあろう男が女々しくてみっともねえ、お嬢もどうしてああも泣き虫なんだと影であざ笑う者もいたが、正臣はそんな二人をさらに抱きしめて言った。


『お嬢、どうか心配しないで下さい。優也はこの俺が一生かけてお守りします。誰のカチコミにだって、傷一つ負わせやしません。優也、今はお嬢も泣いてるが、お嬢はあねさんに似て心の強い子だ。こんな事にくじけるようなタマじゃねえって信じて、いつの日かまた一緒に暮らせる日を夢見て頑張ろうぜ』


 正臣の不器用だが嘘偽りのない励ましに、ますます二人が大泣きしてしまっていたあの日を今も昨日の事のように鮮明に思いだせるというのに、自分が大事にしていた腹巻きをまるで何て事のないように処分してしまうとは……正臣は今、目の前にいる優也をずいぶんと複雑な心境でにらみつける。


 そんな正臣の心境を知ってか知らずか、優也は彼の情報を絶えず流しているテレビを見つめたまま、「僕だって、兄さんが心配なんだよ」と口を開いた。

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