第8話

優也ゆうや、お前……!」

「久しぶり、兄さん。僕の大学入学祝いの時以来だよね」


 そう言ってにこりと笑うのは、およそこの場にいるには到底似つかわしくないほど、とても物腰が柔らかそうな一人の青年だった。すらりと背が高くて程よい肉付きの体格に、正臣とはまた違うスタイリッシュなリクルートスーツを包ませている。おまけに少し切れ長の目元に高い鼻、薄目の唇といった整った顔立ちの上、清潔感溢れる髪型。早い話が、頭のてっぺんから爪先まで完璧と言えるイケメンだ。


 彼は笑みを浮かべたまま、タコ一つないきれいな右手をすっと差し出して、正臣に握手を求める。そのあまりにきれいな手に正臣はうっと息を詰め、次の瞬間にはぷいっとそっぴを向いて「ここはお前みたいなもやしが来る所じゃねえぞ」と突っぱねたが。


「いや……そう言われても、ここは僕の家でもあるし。ねえ、父さん」

「おう、そうだな。お帰り、優也。今日の就活はどうだった?」

「なかなか手ごたえあったと思うけど、筆記試験がちょっと心配かな」


 そう言って、青年は少し不安そうに頬を掻く。そんな青年に大丈夫だ、自信持てと孝蔵が励ます様子は何とも微笑ましいものだと正臣は思いたかった。ここがヤクザの総本部だという場でなければ。そして、尊敬する孝蔵の口から就活だなどと言葉が出てこなければ。


「おやっさん。つかぬ事を聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「今、優也に就活とか言ってませんでしたかぃ?」

「え? そうだけど、それがどうかしたの兄さん」


 孝蔵の代わりに素早く答えた上、心底不思議そうに首をかしげる青年。その瞬間、正臣の短い導火線に火が点き、青年に向かって早口でまくし立てた。


「優也! さっきはついもやしだなんて言っちまったが、お前はれっきとしたおやっさんの血を引いた息子で、この相良組の跡取りだろうが! そりゃあ、組の中で俺の事を次期組長候補だと祭り上げてるバカもいるが、お前を差し置いてそんな不義理をするつもりはさらさらねえ! なのに、就活とはどういう了見だ!? それどころか、あまつさえ俺の腹巻きにあんな事まで……!」


 ぶるぶると震える指で、水槽の中の哀れな腹巻きを指差す正臣。正臣の言葉にきょとんとしていた青年だったが、やがて腑に落ちたとばかりに「ああ~」と伸ばしかけていた右手のこぶしを左手の手のひらにぽんっと打った。


「だってそんな物騒な物、兄さんのおなかに巻いてもらいたくなかったからね。あと、兄さんの部屋のタンスの中に入れてあったストックも全部処分させてもらったよ? さすがに二十三枚はため込みすぎでしょ」

「何だと~~~~!?」


 一枚一枚が、それぞれ覚悟を決めた時に心を込めて作り上げた手縫いの腹巻きである。しかもタンスの一番奥にしまってあったのは、自分の極道人生の中で最も命を張った三年前の海外マフィアとの抗争の際、いよいよ玉砕するつもりで作ったものという思い入れのある腹巻きだったのに……!


「優也、てめえどういうつもりだ!?」

「どういうつもりも、何も……たぶん、父さんと同じ事を考えてると思うけど」


 青年は困ったような表情を浮かべた後、点けっぱなしになっているテレビの画面に目を向けた。

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