第95話
私とおじいちゃんはバスを乗り継ぎ、県外の大きな美術館に向かいました。何かの大きな展覧会だったと思います。その会場の一角にある一枚の大きな絵の前に立った時、私は一瞬で心を奪われてしまいました。
古かったけれど、とても繊細できれいな鉛筆画でした。どこかの風景を切り取ったかのように正確で、山の木々の葉脈まで息づくように描かれているその絵に静かに圧倒されてしまった私は、しばらくその場から動けなくなったほどです。
「これは、ワシの親友が描いた絵なんだよ」
だいぶ時間を置いてから、おじいちゃんがそう切り出しました。美大を目指せるほどに絵が上手かった親友が、今の私と同じ年の頃に描き上げた一枚なんだと。
だからこそ、私はとても悲しくなりました。こんなにも心奪われるほどの絵を描いた人がもうこの世にいないなんて。美大の受験に向かう途中で交通事故に遭い、十八歳で亡くなってしまっただなんて……。
事故後、彼の母親が残された作品を小さな絵画コンクールに送った事がきっかけで、彼は夭逝の天才画家として世に知られる事になったと、おじいちゃんは話してくれました。その時のおじいちゃんは誇らしいとも悲しいとも取れるような複雑な顔をしていました。
「どうしたの?」
私が尋ねると、おじいちゃんは目尻に浮かんでいた涙を拭いながら言ってくれました。
「同じ十八歳だった。ワシはこんな体になっても生きる事ができたのに、どうして奴だけが夢半ばで死ななくちゃならなかったんだ。死んだ後で皆に認めてもらっても、当の本人にそれが伝わらないのでは……」
「きっと、天国で喜んでるよ」
「いや、奴の事だ。素直じゃないところもあったが、本心ではもっともっと描きたかったと悔しく思っていたに違いないんだ。唯一無二の親友だったワシには分かる。やりたい事をやり切れないなんて、こんなもどかしい事はないんだよ……」
この時、私はおじいちゃんを、そして彼をとてもうらやましく思いました。二人とも一生かけてやりたい事があって、ずっと頑張ってきた。でも、私は? 父の言いなりにはなりたくないけど、好きな絵はそこまでっていうほど上手くないし、かといって他に何かやりたい事がある訳じゃない……。
無性に、彼に会いたくてたまらなくなりました。彼に会って、私の話を聞いてほしい。どうして、ここまですごい絵が描けるのか教えてほしい。どうしたらおじいちゃんやあなたみたいに頑張る事ができるのか、たくさん聞かせてほしいって思いました。
そんな事は叶うはずがないって、分かっていたけれど……。
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