第89話
翌日。精密検査の結果も問題なしとなって、俺は事故後すぐに駆け付けてくれた母さんと一緒に家に戻る事になった。急いでレンタカーを借りてきてくれた母さんには、感謝と申し訳なさでいっぱいだった。
「……ごめん、無駄な出費を出させて」
病院を出て、すぐに高速道路に入る。そこで俺がようやく謝罪の言葉を口にすると、母さんは「何言ってるのよ」とほうっと息を吐き出しながら言った。
「直樹が無事だっただけで、儲けものよ」
「儲けものなんかじゃないだろ。受験もパアになったし……」
「まだ、第二希望の美大があるじゃないの。確か、来週だったかしら?」
「……」
「直樹?」
母さんがちらりと俺の方を見やってきたが、俺はもう何も言わず、窓の外をどんどん通り過ぎていく高速道路の分厚い壁をじいっと見つめ続けていた。そうしないと、とても耐えられないと思ったから。
だけど、二時間と少しかけて、見覚えのある田舎町の風景の中に戻ってきた途端、俺の心は限界を迎えた。母さんに少し大きな声で「停めてくれ!」と叫んでしまい、いつものあぜ道の真ん中でレンタカーの甲高いブレーキ音がこだました。
その音は、いい加減限界だった俺の心をさらにぐちゃぐちゃにしてくれた。俺は持っていたスケッチブックを抱えると、レンタカーの助手席から飛び降りてあぜ道の中を走りだした。
「直樹、どこ行くの!?」
背中の向こうから母さんの声が聞こえてきたが、構っていられなかった。早くしないと夕方になってしまう、急がないと。俺はあぜ道の中を、必死に走り抜いた。
辿り着いた先は、学校だった。きっと『あいつ』の事だから、俺や勝より先に教室にいるに決まってる。もし教室にいたら、いろんな話をしよう。おい、何一人で先に帰ってるんだよとか。俺がドジったせいで受験受けられなかった、ごめんとか。次の第二希望の美大にも付き添い頼めねえかなとか。本当に、いろいろと。
それなのに、どうしてだよ。急いで教室に入ったっていうのに、その中に『あいつ』の席がどこにもなかった。
何でだよ。つい三日ほど前まで、この教室には『あいつ』の席が確かにあっただろ。転校してきた『あいつ』の為に、わざわざ倉庫から引っ張り出してきたっていうのに、また片付けたっていうのか? 何の為に?
その事が信じられなくて、俺は教室の中をさらに見渡す。担任が教壇の上に置きっぱなしにしている出席簿に、黒板の横に貼られている掃除当番表。それから、それから……!
「……ない。どこにも、『あいつ』の名前が」
どういう事なのか、全く分からない。教室のどこを見渡しても、ここに『あいつ』がいたという痕跡が見つからないんだ。まるで『あいつ』という転校生なんて、最初からいなかったかのように――。
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