第80話
「……よし、こんなもんか」
今日の分のノルマを描き終え、俺は鉛筆を机の上に置いた。昼休みの間に済ませてしまうなんて、もしかしたらこれまでの最速記録更新したんじゃねえか? と自画自賛していたら、そんな俺の背後から勝がひょこりと顔を突き出してきた。
「……今日のテーマは、グラウンドでの全力疾走ってところか?」
「まあな。『あいつ』、フォームがきれいだから描きやすかったよ」
勝の言う通り、今日のスケッチブックに収まった『あいつ』はジャージ姿でグラウンドの中を走り抜けている。「運動は中の下くらいかな」とか言ってたくせに、体育の時間に見たあいつの走る姿は陸上選手ばりに整っていて、思わず見惚れてしまったくらいだ。俺なんてどんなに頑張っても太ももが変に持ち上がってしまうし、猫背っぽくもなるっていうのに。
「あれで前の学校でも帰宅部だったっていうんだから、ちょっと反則だよなぁ?」
苦笑いを浮かべながら俺がそう言うと、勝はすぐに「違うだろ」と反論した。
「前の学校ではそうだったかもしれないけど、ここでの『あいつ』は俺達の専属応援団長だ」
「あ……」
「いや、それとも? 今は直樹専属の応援団兼モデルさんかな?」
そう言って、勝は少し意地の悪い笑みを浮かべる。だが、そこに悪意は微塵もないという事など、俺は何よりも分かっていた。
この頃になると、俺達三人の間に流れている空気は以前とは確実に変わっていた。それを険悪なものではないように努めてくれていたのが他でもない勝であり、俺はそんな親友に申し訳ないと思っていた時期があった。
『あいつ』とずっと一緒にいたい。そう思っていたのは勝も同じだったんだと気付いた時、俺はずいぶんとひどく悩んだし、謝るのが筋なんじゃないかと自分勝手な答えを出しそうになった事もあった。
そこまで考えておいて行動しなかったのは、勝がひと足先に大人になってくれたおかげだった。俺と『あいつ』の変化に気付いているはずなのに、それをおくびにも出さないばかりか、以前と全く変わらない態度でいつも通りに接してくれている。
『俺の事を気にする余裕があるなら、その分、とっとと幸せになる心づもりでもしてろってんだよ!』
もし俺がひと言でも謝ろうものなら、勝はきっとそう言葉を返しながら、俺の頭をごつんと小突いてくるんだろう。だてに物心ついた瞬間から、ずっと一緒にいる訳じゃない。それくらい、余裕で分かるというものだ。
確かに、これからも『あいつ』にはずっと俺だけのモデルでいてほしいとは思っているけど、それと同じくらいの強さで俺は勝と親友でいたい。だから「俺専属じゃねえよ」と言った。
「『あいつ』は、勝の事だってちゃんと応援してる。だから、『あいつ』にもお前んちの採れたての新米食わせてやれよ。もうすぐ稲刈り始まるんだろ?」
『あいつ』は、実にうまそうにメシを食う奴だった。とりあえず好き嫌いはないようで、昼休みに弁当を食べている時の『あいつ』はいつも幸せそうな顔をしている。
勝のうちで作っている米は、お世辞抜きでうまい。毎年十キロ分をおすそ分けしてもらっているが、炊き上がりはどこの店で売っている物よりもふっくらとしていて、優しい味わいだ。そんな米を『あいつ』が食べたら、どんな反応をするんだろう。そう思い立って言った言葉だったが、見ると勝は照れ臭そうに赤くした顔をぷいっと逸らしてから言った。
「し、仕方ねえなあ。直樹の頼みなら……」
ちょっと前に用事があって勝の家を訪ねた時、おじさんやおばさん達が丹精込めて育てた水田の稲穂はたわわな黄金色に実っていて、静かなそよ風に揺られていた。きっと今年も豊作間違いなしだろう。
来年からは、そんな米作りに勝も本格的に関わっていくんだ。いや、正確にはつい最近になって進学が決まった専門学校を卒業してからになるんだろうけど。
「うん。マジで頼むな、未来の超優秀な農家さん」
口元まで恥ずかしそうにぐにぐにと動き出した勝を見ながら、俺は言った。
「きっと、『あいつ』めちゃくちゃ喜ぶと思うから」
「……それはそうに決まってるだろ。直樹、お前こそ頑張れよ。美大の受験」
そっぽを向いたままで、勝がそう返してくる。美大の受験まで、もう三週間を切ろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます