第63話

「嘘……。違う、違うよね……?」


 『あいつ』の手の震えはあっという間に全身へと巡っていき、そのままへたりとしゃがみ込む。ジュースで潤っていたはずの唇もぱさぱさに渇いてしまっていて、俺は『あいつ』の背中に手を添えながら「大丈夫か?」と視線を合わせた。


「具合悪くなったんなら、どこか日陰に」

「ねえ、直樹。今日、何日?」

「え?」

「今日って、何日なの……?」


 か細く、震える声でそう言ってくる『あいつ』。分かってはいたけれど、俺はポケットからスマホを取り出し、液晶画面に映し出されていた日にちを読み上げた。


「八月、二十八日だけど」


 その瞬間だった。『あいつ』の口からひゅうっと息が漏れ、大きな声が「……そうだよ、今日だったじゃない!」と紡いだのは。

 

「……ダメ、お願い! お願いだから、間に合って……!」


 カタカタと震えてうまく動かせない手を叱咤するように、『あいつ』も自分のポケットからスマホを取り出す。そしてそのまま電話帳のアプリを開きだしたので、「どうしたんだよ?」と背中をさすりながら尋ねてみれば、『あいつ』は「勝君が……」と答えた。


「わ、私、今日、勝君に呼び出されてて……」

「え……」

「お願い、間に合って……!」


 呼び出しボタンをタップした『あいつ』は、ぎゅうっと祈るように両目を閉じる。スピーカーモードになっていたから、呼び出しのコール音が無機質に俺達の間に響き渡っていたが、そう長く続かないうちに『もしもし?』という勝ののんきな声が聞こえてきた。


『俺、もう学校に着いてるぜ?』

「……勝君? ああ、よかった。まだ学校にいてくれてたんだね?」

『何、言ってんだよ。待ち合わせの時間まで余裕あるだろ。直樹の奴もまだ来てないし』


 勝と学校で待ち合わせしてただなんて、俺は全く聞いてない。二人だけで何するつもりだったんだ? まさか、今夜の花火大会に行くつもりだったとか? そんな俺のもやもやした気持ちは、『あいつ』の心底ほっとしたような吐息にかき消された。


 しかし、そんな『あいつ』の様子を分かっているのかいないのか、スピーカーからは『おい、どうした?』と勝の軽い声色が続く。ビデオ通話に切り替えてやるべきかと本気で思ったが、『あいつ』のこんな顔、勝にはどうしても見せたくなかった。

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