第61話
「直樹。私、レモンがいい!」
十分くらい道を引き返して町役場の前まで辿り着いた時には、『あいつ』はすっかりいつもの調子を取り戻していた。
無理に誘って悲しい思いをさせてしまったお詫びにおごろうと思い、俺が「どれにする?」とラインナップを見せてやると、『あいつ』は迷う事なくそう言った。
「意外だな」
自動販売機にお金を入れながら、俺は隣に立つ『あいつ』に言った。
「俺の勝手なイメージだけど、お前はグレープ派だと思ってた」
「だって、直樹もレモン好きなんでしょ?」
「え……?」
購入ボタンを押すと同時にそんな言葉が『あいつ』の口から出てきて、俺は驚いた。俺、話した事あったっけ? このジュースはレモン味が一番好きだって事……。
「ああ、まあな」
取り出し口からジュースの缶を取り出し、それを『あいつ』に手渡す。その時、『あいつ』はさっきとはまた違う種類の気まずい表情を一瞬見せていたものの、手のひらに乗った缶の冷たさに「きゃ、冷たっ!」といつものように弾んだ声を出したから、きっと俺の記憶違いだと思う事にした。
「どう? うまい?」
俺が自分の分を買った時、よほどのどが渇いていたのか『あいつ』はもう缶のプルタブを開けてごくごくと飲み始めていた。俺が尋ねてきた事に気が付くと、『あいつ』は缶から口を離して「ぷはぁっ」と炭酸交じりの独特な息を吐いた後で、こくこくと嬉しそうに頷いた。
「これ久しぶりに飲んだけど、やっぱり私の中では一番って言うか、大当たりって感じ!」
「久しぶり? このジュース、かなり限定的っていうか、この町以外で売ってる所って存在するのかよ?」
「……小さい頃に、よく飲んでたんだ。おじいちゃんにいつも買ってもらってたから」
へへっと照れ臭そうに笑う『あいつ』。そういえば、『あいつ』の口から家族の話なんてほとんど聞いた事なかったな……。
「今日も親は家にいないのか?」
いつ、どの時間に約束しても、『あいつ』は遅刻どころか一度だって断りを入れる事なく、楽しそうに学校まで駆けてきた。そんな『あいつ』と一緒に過ごすのはもちろん嬉しかったけど、日が暮れそうになると急いで帰ってしまう様を見ていると、本当は……なんて考えてしまう。
そして案の定、俺が思っていた通りの答えが『あいつ』の口から出てきた。
「まあね。何せ、仕事大好き人間なもので」
半分以上飲んでしまったらしく、『あいつ』の両手の中に収まっている缶からはちゃぷちゃぷと中身が跳ねる音が微かに聞こえてくる。それが少しおもしろいのか、『あいつ』はさらに缶を揺らしながら続きを話した。
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