第四章

第56話

その次の日から、俺にとってかなり有意義な夏休みが始まった。


 これまでの夏休みは勝と一緒に大量の宿題を片付けるか、もしくは起きている限りずっと絵を描いているかのどちらかしかやってこなかった。たぶん、大人になってもこんな単調な時間を過ごしていくんだろうなとぼんやり思っていたけれど、『あいつ』のおかげで夏休みというものを初めて心から楽しむ事ができた。


「わあ、小っちゃくてかわいい。佐竹さん、ありがとうございます」


 最初は買うつもりでいたパンジーの苗を勝の伝手つてもあってタダ同然で譲ってもらった時、『あいつ』はとても嬉しそうに目を輝かせていた。その上、ていねいに佐竹さんに頭を下げてお礼を言う『あいつ』に、俺は少なからず好感を持った。


 早く早くと急かすように先に立ち、小走りで学校へと向かう『あいつ』はまるで小さな子供のようにあどけなくて、俺と勝は困ったように振る舞いながらも、実は結構楽しんでいたと思う。俺達二人だけしかいなかった時間と場所に、『あいつ』というまぶしさが入ってきてくれた事は何物にも代えがたいものだった。


「……よし、じゃあ植えるか。本当はまだ時期が早いから、しっかり土を慣らして日よけも作らないとな!」


 さすが農家の息子らしく、本格的な知識を持っている勝は花壇に新しく使う土や肥料だけじゃなくて、暑さに弱いパンジーの為に園芸用の遮光ネットも持ってきていた。それを器用に組み立てて花壇の上に立ててやれば、あれほどじりじりと花壇に照り付けていた日光は一気に和らぎ、そこに慣らした土や肥料も心なしかふわふわと心地良い手触りになった。


「よし、じゃあ根っこが渇いちまう前に手早く植えちまおう」


 そう言って、勝は慣れた手つきでパンジーの苗をポットから取り出すと、優しく根っこを揉みほぐしてから花壇に埋める。そのあまりの素早さに感心と戸惑いが入り混じってしまった俺は、ポットを持ったまま、まごまごとしていたのだが。


「次、私! 私も植える!」


 勝の手際の良さは『あいつ』を逆に興奮させたようで、俺の手からポットをかっさらってしまうと、そのまま花壇の前に座り込んで苗を植え始めた。


「ねえ、勝君。穴の大きさはこんな感じでいい?」

「う~ん……もうちょっと間隔開けた方がよくねえか?」


 互いに顔を見合わせて楽しそうに笑っている二人を見て、手持ち無沙汰になってしまった俺は持ってきていたスケッチブックにその様子を描き始めた。


 おかしなもんだ。ちょっと前まで頭の中で文句ばかりを連ねていたっていうのに、いざこういう形になってしまえば、やっぱり楽しくて仕方ない。来年には消えてなくなってしまう母校だし、この花壇だってそうなったらどうなってしまうのかなんて思ってしまうけれども、今この時、三人でこんなふうに過ごせる時間はとても大切にしたい。そう思いながら、俺はどんどん絵を描き続けた。

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