第55話

「俺、園芸部やるわ」


 次の日の午後。『あいつ』に町の案内の続きをするという理由で、俺達は校庭のベンチで待ち合わせをしていた。


 一番最後、時間ギリギリにやってきたのが勝だった。きっと家の農作業を手伝っていて遅れたんだろうなと思っていた矢先、いきなりそんな事を言い出したので本当に驚いた。常日頃から「農業こそが、俺のアイデンティティ」なんて堂々と言う奴だから、部活動をしようなんて考えるはずもないと思っていたのに。


 そんな勝に、『あいつ』はぱあっと明るい笑みを浮かべながら、大きな拍手をした。


「すごい、すごいよ菅谷君! それが菅谷君のやりたい事なんだね! それで、いったい何を育てるの?」

「あと半年しかないんだから、冬に咲く花をって考えてる。育てやすいのはパンジーかクリスマスローズかな」

「じゃあ、パンジーはどう? 苗を買ってきたら、もっと簡単だと思うけど」

「へえ、分かってるじゃん」


 俺をそっちのけにして、何だか二人で盛り上がっている。勝の奴、楽しいのは大いに結構だけど、ちょっとくらい俺にも意見を求めてくれたっていいんじゃないか? そりゃあ、俺は花の事なんかよく分からないけどさ……。


 ちょっとおもしろくなくてふてくされていれば、こっちを向いてきた勝と目が合う。何故か勝もむっとしてるような顔をしていて、それを不思議に思っていたら勝が「おい、直樹」と声をかけてきた。


「お前は美術部な? 俺が育てた花をしっかり描け」

「え?」

「言っとくけど、拒否権はねえから」


 ……いやいやいや。何だよ、美術部とか拒否権はないとかって。


 俺の絵は観察日記の挿絵代わりか? ヘチマかアサガオじゃあるまいし、毎日成長記録を描いていけって言うんじゃないだろうな?


 頭の中ではそんな文句ばかりをつらつらと並べ立ててはいたものの、それを言葉にする事は決してなかった。勝が俺を下に見ているなんて事は絶対にないし、これだって勝なりに俺を仲間外れにしない為の口上みたいなものだ。勝のこういうところは、本当にありがたい。


 それに加えて、『あいつ』の次の言葉が決定的に俺の心を動かした。


「いいね、美術部! 西本君らしいよ!」


 毎日の日課の為に、俺の手はいつも鉛筆で黒く汚れている。ここ最近は洗ってもなかなか落ち切れなくなってきたけど、そんな汚れっぱなしの俺の手を『あいつ』の真っ白な腕が躊躇なく伸びてきて、その細い指に優しく捉えられた。


「西本君、いつもスケッチブック持ってるんだから、絵は好きなんでしょ? だったら美術部やるべきだよ!」

「え、でも……」


 絵は好きなのかという問いに、俺はすぐに答えられなかった。少なくともこの時の俺には、とても難しいものだった。


「私はね、応援団作る! 園芸部と美術部を頑張る二人専属の応援団!」


 そう言って、『あいつ』はへへっと笑う。まだ出会って二日目だ。それなのに、どうしてこんなにも『あいつ』の存在や言葉が心の中に染み入ってくるんだろう。


 勝以外で、こんなにも心を許せる人間に出会えるなんて思いもしなかった。少しの間を置いてから、俺は勝と『あいつ』の提案にこくりと頷いた。

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