第53話

「お母さん。俺、今日から絵を描く」


 父親からのプレゼントをしっかりと抱えながら、俺は言った。


「俺、今日から毎日いっぱい絵を描いて、上手になる。それでお母さんにたくさんの絵を見せてあげる。そしたら、お父さんが描いたのと同じになるでしょ?」


 子供の小さな頭で考えた、大した事のない提案だったのに、その時の母さんはとても嬉しそうに笑って、俺を抱きしめてくれた。その日から、絵を描く事が俺の日課になった。


 毎日大声ではしゃぎながら外を元気に走り回ったり、豪快な工作を作り上げる勝とは全くの正反対に、俺は黙々と絵を描き続けた。最初の頃は小さい子供らしく本当に稚拙なもので、クレヨンでぐちゃぐちゃに描き殴った訳の分からない絵が圧倒的に多かったが、画用紙に写し取るものをじっくりとよく見るというすべを覚えてからは、それなりに特徴を捉えられるようになった。


 体が大きくなるにつれてクレヨンから色鉛筆、その次は絵の具と試していき、最終的には鉛筆のみで描く事に落ち着いた。すると母さんが「あんたの背中、お父さんにそっくりになってきたわねえ」なんて言い出したものだから、子供の頃の目標をちょっぴり叶えられたような気になって嬉しく思ったものだったが、調子がよかったのはここまでだった。


 ある日を境に、自分の画力が全く伸びていない事に気付いた。それまで描いてきたのは主に町の風景画ばかりだったけど、どの場所を描いても自分が納得いくものを描き出す事ができない。暇さえあれば、小遣いで買ったスケッチブックを四六時中持ち歩き、町の至る所を描いてきたっていうのに、どうしても目の前にあるそれらと同じものを描けているとは思えなかった。


 全く変わり映えしないこの町の風景に、嫌気が差している? いや、そんな事はない。確かに不便な面は多々あるけど、俺はこの町に生まれてきてよかった。この町の絵をたくさん描ける事に幸せだって感じてきた。


 それなのに、どうして納得がいかない? どうして物足りなさを感じてしまうんだ? これまで独学で絵を描き続けてきたから、誰かに教えを乞うという事もできない俺の悩みは袋小路に入ってしまい、ついには抜け出せなくなってしまった。


 そうなってくると、これまで楽しく描き続けてきた絵もだんだん苦痛になってくる。長年の日課になっているから今さらやめるなんて事はしなかったものの、毎日納得がいかない絵を描き続けてしまえば、否が応でも自分に対する自信なんてものは失われていく。代わりにネットでよく見かける低レビューみたいなものを、自分に付けるようになった。


 唯一、自慢に思ってもいいかもしれないと思っていたものも、結局は大した事なかった。趣味と呼ぶにもおこがましい。小学校の七夕祭りの短冊に『大人になったら、うちの畑でおいしい野菜が作れるようになりたいです』と書いた勝の方が、よっぽど才能に恵まれている。


 俺はきっと、この世で一番か二番を競えるくらい、つまらない人間だ。中学の卒業アルバムによくある『将来の夢』の記入欄には特に何も書かず、高校に入学して最初に行われた三者面談の時も何も言えなかった。


 このまま何も見出せずにつまらない大人になって、この町を出ていくどころか、特に頑張る事もなく、下手くそな絵を描き続けるだけのつまらない人生を送っていくんだろうな……。


 そんなふうに考えながら生きてきた、高校三年の夏休みだった。『あいつ』がうちの高校に転校してきたのは……。

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